2008年9月14日

料理

料理

ここタンザニアでは、多くの人々が炭や薪を使って火を起こし、料理をしています。

私の家に今あるコンロは
「炭」
「灯油」
の2種類です。

それ以外に、
日本で言う「着火剤」のような燃料を燃やして火をおこすコンロ
「電気コンロ」
もあるのですが、私の任地はその着火剤が売っていない、のと電気が不安定という理由で前述の2種類のコンロを使っています。


炭のコンロ(左)  灯油のコンロ(右)

炭はとっても値段が安く経済的ですが、火をおこすのに時間がかかるという難点があります。
灯油はすぐに火がつくのでラクですが、灯油の値段が高いのでそれが難点です。(今現在私の村では灯油、1リットル=約180円)

料理をするときの様子

料理をするときは上の写真のように床を利用して料理しています。日本の感覚から言えば「汚い」かもしれませんが、私は気にならないというかもう慣れました(笑)
左の奥に見えているのが「炭の山」です!!

日本での生活における炊飯器の便利さや炊き具合の上手さには頭があがりませんが、これらのコンロでお米を炊くのも今はすっかり慣れて、「白いご飯」もおいしくいただいています。

タンザニアには「米」も豊富でどこでも買うことができます。しかし、ウガリを作るための「トウモロコシの粉」に比べると値段が少し高めなので、村の人々はそんなに頻繁にはお米を食べません。


味噌汁を作りました

具は大根とルッコラ(という葉っぱです)。どちらもマサシにいる先輩隊員からいただきました。その先輩は家庭菜園がすごいそうです。大根はタンザニアでは見かけません。この味噌汁を近所の夫婦と一緒に食べたところ、「大根はおいしくない」と言っていました(笑)とーってもおいしい大根だったのですが、食べなれないとやっぱそう感じるのでしょうか??

2008年9月13日

日本のニュース

日本のニュースの入手方法

開発途上国、その中でも特に私の任地のようにネット環境もないところにいると日本のニュースから隔離され、帰国時には「浦島太郎」のようになっているということがあるといいます。

それを防ぐために、隊員には
「月刊新聞ダイジェスト」
が配布されます。今はどの国でもネット環境がある隊員は増えているのですが、インターネットのない昔は隊員全員に配布されていたようです。

新聞ダイジェスト6月号の表紙(約2ヶ月遅れで主要各新聞がまとめられている)

日本にいる頃も新聞を読むのが好きだった私にとってこの「新聞ダイジェスト」は生活の中の重要な情報源のひとつです。新聞ダイジェストを編集してくれている皆さんに心から感謝!!

でもいわゆる「流行」の類になるさまざまなもの(食の流行、ファッション、芸能、音楽など)については
完全に「浦島太郎」になる気がしますが(笑)


2008年9月13日

2008年9月8日



水について書きたいと思います。

首都で

タンザニアでは水道水でもそのまま飲むことは非常に危険です


料理に使う水、飲み水などは

まず濾過器を使って濾過し、その後煮沸して消毒する

という作業を行います。

そのまま飲めるペットボトルの水も売っていますので、私も首都ダルエスサラームにいるときは、主にペットボトルの水を飲みます。


田舎(村)での状況

しかし、私の任地ルクレディのような村には水道がほとんどないという状況です。


人々は井戸で水を汲んでそれを濾過・煮沸消毒なしで使っています。小さい頃から慣れているから大丈夫という側面もあるようですが、それでも人々は水が原因と思われる下痢などの病気になるようです。
村であっても、タンザニア全土に渡る地域でペットボトルの水が出回っていますが、大多数の村の人はもちろんそれを買うことはできません。


私の任地ルクレディの場合は村のはずれに小さな湖があり、人々はその水を頼りに生活しています。

湖の周りで洗濯をし、体を洗い、湖の水を持ち帰る。

そうやって湖の水とともに生きています。

井戸はどこの地域でも乾季の終わりのほうになってくると水が少なくなったり枯れたりするようで、私の感覚から言えば、「とても不安」です。水は生きていくために必要なものの筆頭に上がる大切なものだからです。それでも人々は生まれたときからそのようにして生きてきたのです。


「タンザニアの人々はとても強い」
「自分がこの村で生まれた人間だったらこれに耐えられるだろうか」

そんなことを考えます。


私の生活の中の水

私の家は近くの教会の関係する敷地の家なので近くに水道があり、普段はそこで水を調達します。
その水道は教会所有のポンプで地下から汲み上げた水がでてきます。
砂がまじっているものの、湖の水に比べれば綺麗な水が出てきますし、調達するときの労力は村の人々に比べれば断然少ないです。

私は濾過器を買うことができますし、水を煮沸するための燃料(炭、または灯油)を買うことにも困らないので、この水をろ過し、煮沸した後に飲み水として、ポットに入れ飲んでいます。



このように水をめぐる状況でも、私は村の人々より「ラクな生活」をしています。水を得るために、湖と家を複数回往復して、水の入った重いタンクを自転車や頭の上に乗せ運んでいる村の人々の辛さは私にはありません。

私の家の近くの水道も常に出るわけではないので、大きなバケツに水を蓄えています。




水を運ぶバケツと水を蓄えているバケツ(家の中)



水がなくなるかもしれない不安を感じながら生活するのは、日本ではなかなか難しいことなのでここタンザニアではそれが感じられて、とても貴重なことだなと思っています。


この気持ちを抱えて生きている人々が世界にはたくさんいるので。



水道がどこに行っても整備されている日本の環境は本当に素晴らしいと思います。水道事業をしっかり進めてきてくれた先人の方々に感謝する気持ちでいっぱいです。


そして、開発途上国で水に苦しむ人々の負担を軽減する井戸の建設や水道の整備がすすんでいくにはどのような事が必要なのだろうと考えます。


水があること、飲めることの大切さはずっとずっと考えていきたいです。



2008年9月8日

2008年9月6日

生徒の学習環境

生徒の学習環境

任地で過ごして約4ヶ月。タンザニアの中等学校の生徒の学習環境について書いてみたいと思います。自分の勤めているルクレディ中等学校の様子、他の理数科教師隊員の方たちと情報交換した内容を元に書いてみます。


中等学校のシステム

タンザニアの中等学校には2種類あります。

Ordinary Level (Form1-Form4)
Advanced Level (Form5-Form6)

と呼ばれるものです。

「Form」とは中等学校の「学年」に相当する言葉です。
「Form1」は日本でいう「中学1年」に相当すると言って問題ないと思います。
なので「Form6」は「高校3年」にあたります。日本では「中学」と「高校」は3年ずつで分かれていますが、タンザニアではO-Level4年間、A-Level2年間と分かれています。
O-LevelとA-Levelは同じ中等学校に併設の場合もありますが、大半は片方しかありません。
私の任地、ルクレディ中等学校はO-Levelだけの学校です。


学んでいる教科

O-Level

O-levelでは生徒はいろいろな教科を幅広く学びます。

Kiswahili (スワヒリ語)
English Language (英語)
Civics (公民)
History (歴史)
Geography (地理)
Mathematics (数学)
Biology (生物)
Physics (物理)
Chemistry (化学)
Religion (宗教)
Debate (討論)

O-Levelでは上記の教科を学びます。日本の中学校とは違い「美術」「技術」「家庭」「体育」などの教科はありません。

A-Level

A-Levelでは生徒は

指定された3教科

を学びます。

私は最初びっくりしたのですが、A-Levelでは生徒は自分の「専攻教科」を持っています。
それは「3教科からなる組み合わせ」で構成されていて、「コンビネーション」と呼ばれています。生徒はO-levelからA-Levelに行くときに自分のコンビネーションについて希望を出し、その結果に応じてどのA-Levelの学校に行くか指定されます。

その3教科の組み合わせは何でも良いわけではなく、種類が決められています。
現在存在するコンビネーションは10種類あるようで、いくつか例を挙げると

HGE (History - Geography - Economics)
HGK (History - Geography - Kiswahili)
KLF (Kiswahili - English - French)
PCM (Physics - Chemistry - Mathematics)
CBG (Chemistry - Biology - Geography)

などがあります。
各教科をアルファベット1文字で表し、それを3つ組み合わせて呼んでいます。
ちなみに
E=Economics
L=English (English "L"anguage)
です。

日本の教育システムと比較して言うと
高校教育から教科を得意分野だけに絞って勉強するので得意分野が伸ばせる
という特徴があると言えそうです。
しかし一方で、
いろいろな科目を学ぶ期間が早く終わるので知識が偏るのではという懸念

存在するコンビネーションの制限の中で学ばなければならない。
という問題があるように思います。例えば、英語と歴史と数学が学びたいという生徒が仮にいたとしても英語・歴史・数学というコンビネーションはないので、その生徒は何かの教科を変更し、存在するコンビネーションに変えなければなりません。


教室環境

机と椅子の数の不足が深刻です。ひとつの机で2人の生徒がノートを取ったり、テストをしたりするのは当たり前です。ひとつの椅子に2人の生徒が座ることも日常茶飯事。年功序列でform3・4の生徒が優先で机と椅子を使うので、特にform1・form2の教室には机と椅子がありません。それでもお互いに机や椅子を仲良く共有している生徒の姿をみていると、優しい気持ちになれます。

生徒はボールペンを使います。グラフを書いたり、描画するときは鉛筆を使いたがる生徒もいますが、基本的には全てボールペンです。というか”グラフを書いたり、描画するときは鉛筆、それ以外はボールペン”という習慣があるようです。シャーペンは売っていません(笑)それから生徒がノートを取るときの特徴と言えば、「定規を使うのが大好き」ということです。ノートの左端に定規を使って直線を引かないと気がすまない生徒、強調のアンダーラインなども定規を使って書かないと気がすまない生徒など、みんな定規が大好きです。でも定規を持っている生徒はそんなにいないので、授業中の定規の貸し借りは頻繁です。

教室の黒板はちゃんとあります。チョークも日本のものと同じくらい良いものがあります。しかし、黒板は日本のもののように書きやすくはありません。つるつるした黒板もあって、チョークの粉がのってくれない感じで書きづらいです。黒板を消すときはどうするか?というと、要らない紙切れや要らないスポンジなどを使って消します。日本の「黒板消し」の使いやすさに思いが至ります!!

授業中の習慣で、日本とタンザニアで違うところとして「先生を呼ぶときの方法」があります。日本では「手を挙げる」「呼ぶ」だと思いますが、タンザニアでは「ペンを机の上で連打する」が主流です(笑)それで”トントントン”という音を立てて先生の注意を求めます。この呼ばれ方、慣れるまでは正直嫌でした(笑)


毎日の学校生活

学校は日本に比べて朝早く始まります。
僕の任地の学校の時間割を例にすると、

~7:00  生徒は登校し、学校の周り・教室を清掃する
7:30  先生の出勤時刻、生徒は国旗台の前に集合し朝礼

~11:30     午前の授業

11:30~
12:00      朝食の時間

~14:40     午後の授業

皆さんがこの時間割を見て思うのはおそらく「11:30~12:00 って朝食なの?昼食の間違いじゃない?」ってことだと思います。でも朝食なんです。社会的な理由があるのかはわかりませんが、どこの学校もだいたい似たような時間割です。そしてこの朝食の時間たった30分間です。しかも「給食はもちろんなし」です。学校の予算では調理人を雇って食材も買って給食を提供することは不可能ですし、生徒から給食費を取るのは難しいことです。(公立O-level学校の年間学費は日本円で約二千円:2000円ですが、それでも学費が払えない生徒、払うのが遅れる生徒がいます。)学校の近くにご飯を食べるところがあるわけでも、生徒が家から弁当を持ってくるわけでもないので結局生徒がご飯を食べるのは家に
帰って15時頃ということになります。村なので人々はお金もなく、1日1食の人もたくさんいると思われます。朝学校に来る前に早起きして朝ご飯を食べてからくればいいと思うのですが、上記のような経済的理由からそれもできず、一日の最初の食事が15時くらいという生徒がたくさんいるという現状です。空腹と戦いながら授業を受けている生徒をみていると自分は本当に恵まれていたなと改めて実感します。


生徒に
「先生、お腹すいた」
「先生の家でご飯たべさせてくれ」

といわれることも良くありますが、いつも断っています。一回許したら多くの生徒が毎日来るのではないかという恐れ(自分の都合)などに負けて生徒にご飯をあげることはできないと思ってしまいます。

このようなやりとりを生徒とする度に、
日本で食べたい放題してきた自分の傲慢さ

タンザニアに来てからも「タンザニア人に比べれば全くと言っていいほど不自由なく食べれている自分の生活」を守ろうとしている自分の傲慢さ

を思い知ります。

2008年9月5日

2008年5月10日

いよいよ本赴任

明日、いよいよ任地へ本赴任します!隊員活動が本格的にスタートします!!

福島の訓練所では19年度4次隊約150名の隊員と一緒に訓練を受け、
タンザニア到着後は19年度4次隊タンザニアメンバー9名と一緒に訓練を受けてきましたが、
ついにそれぞれがばらばらに任地に行く時期がやってきました!!

私の大好きな19年度4次隊タンザニアメンバー9名の写真を載せます!
最後に皆で夕飯を作り、食べた後の写真です


みんなの手
この手で大切なものを掴みたいですね


みんなの足
しっかりタンザニアの大地を踏みしめて活動したいですね


みんなの笑顔
より多くの笑顔が生まれますように


9人の職種は

村落開発(地域開発学校の先生)
司書(大学の司書科の講師)
看護師(看護学校の先生)
理学療法士(病院職員指導)
コンピュータ技術(職業訓練校の先生)
自動車整備(職業訓練校の先生)
理数科教師(中等学校の先生、3人)

です!

これからはこのブログの更新も頻度が小さくなると思いますが、書けるときは書いていくのでまた見てくださいね^0^


2008年5月9日

ダブルダッチのとりこ

ダブルダッチ

私は大学生活で「ダブルダッチ」という二本の縄を回しながらいろいろな跳び方をする、スポーツ兼パフォーマンスをずっとやっていました。

日本でも最近ではメディアでダブルダッチを目にすることも多くなったのでご存知の方も多いかと思います。
ご存じない方は動画サイト「youtube」で「ダブルダッチ」をキーワードに検索してみてください!たくさんのダブルダッチ動画をみることができます。


私は5年前にダブルダッチと出会い、今までずっとダブルダッチをしてきましたが、ダブルダッチを通してたくさんの幸せや喜びを感じることができました!!

なので、ここではダブルダッチの魅力と僕の周りの魅力的なダッチャー(ダブルダッチをしている人をこう呼びます、笑)について書きたいと思います!!


ダブルダッチの可能性

ダブルダッチで使う道具は「縄だけ」です!それと平らな地面があれば大丈夫!だから他のスポーツに比べればどこでもすることができます!私の2年間の隊員活動の中で、
「ダブルダッチ普及」
も目標の一つです。私の配属先は中等学校なので、放課後の課外活動の時間や休日にするスポーツとして、生徒さんたちにダブルダッチを紹介してみたいと思います。また配属先以外でもダブルダッチの楽しさをたくさんの人に伝えることができるよう、貪欲に機会を探していきたいと思います。


ダブルダッチの面白さ

曲に合わせて跳ぶととっても楽しいです!演技を作るときは自分達がやりたい曲を選び、演技も自分達で考えます!創造力が試されるのでとっても楽しいです。また縄跳びとダブルダッチの大きな違いは「みんなで一緒にやること」基本的にも2人で1組の縄を回すので、チームワークや協調性が必要です!大好きな仲間と力を合わせてやるのがとっても楽しいです!!


ダブルダッチの難しさ

上で書いた「チーム」でやることが時として難しさにもなります。
また縄を回すのは練習に時間を要すこともあるので、根気強くやらないとなかなか難しいです!

でもこれらの難しさを乗り越えたときの喜びはもう言葉では言い表せません!!


ダブルダッチを教えてくれた人たち

私が大学生になった時、大学には「ダブルダッチサークル」はありませんでした。ダブルダッチがまだもっとマイナーであった頃でした。しかし、同年に入学してきた学生で高校の時からダブルダッチをしていて、大学でダブルダッチサークルを作りたいという熱いヤツラがいました!!彼らが私に最初にダブルダッチを教えてくれた「恩人」です
この「運命の出会い」には本当に感謝してます。サークルの同期は1代目として、サークルを作り上げ、今現在そのサークルはとても大きく、また魅力的になっています!そんなサークルのメンバーみんなが私にダブルダッチの魅力を教えてくれた「仲間」です


世界にいる隊員たち

ダブルダッチが大好きな私は勢い余って、隊員訓練所でもダブルダッチを仕掛けました!そして本当にありがたいことにたくさんの方がダブルダッチに興味をもってくれて、訓練所の空き時間を利用してみんなでダブルダッチ楽しんじゃいました☆最後はみんなで演技を作り、披露してダブルダッチの醍醐味も共有してきました。今彼らはそれぞれの任国

中国、タイ、ベトナム、モンゴル、フィジー、シリア、エジプト、ウガンダ、ケニア、タンザニア、マラウイ、ボツワナ、ナミビア、マダガスカル

にいます!彼らと築いた絆は私の隊員活動のおおきな支えになっています!!



いままで
ダブルダッチを通してたくさんの人と話し、動き、楽しんできました。
ダブルダッチを通してたくさんの子供と遊び、戯れてきました。


大勢のみんなとダブルダッチにありがとう

そしてこれからも!!


2008年5月9日

タンザニア人の日本人観

タンザニア人の日本人観


タンザニアの人々が日本人をどう見ているのか、この1ヶ月半で私が経験した事、スワヒリ語講師が文化に関する授業で話してくれた事を元に書いてみます。

お互いを知って、お互いを尊重し合って、建設的に協力しあう

そのための第一歩として相手が自分たちをどう見ているか知ることは重要だし、興味深いですよね


日本人はみんな空手や格闘技が得意

みんな日本人は空手ができると思っています!びっくりするくらいみんな「ブルース・リー」と「ジャッキー・チェン」が好きで、しかも多くの人が彼らを日本人だと思っています!!(笑)
そのため空手(の真似)をすると、非常に喜ばれたり、アイツは強いからと強盗に襲われにくいということがあるようです!


日本人はみんな電器製品や車に詳しい、もしくは作れる

これは日本製の電気製品や車がここタンザニアでも「最高級」として信用されていることから来ているようです。そのため、携帯電話などが壊れると「日本人であること」を理由に「これ直してくれ」と持ってこられたり、困ったこともあるようです(笑)


日本人は日本人としか結婚したがらない

どこからこのイメージがついたんでしょう?(笑)隊員もよく求婚されますが(笑)、丁重にお断りすると「どうしてそうなんだ?日本人としか結婚しないのか?」と聞いてきます。
私の予測ではみんな日本人が好きだから、求婚の後、断られた時の印象が強く、このイメージがついたのではないでしょうか?実際私が話した中でも、日本人と結婚したいと言うタンザニア人の男性は多いです。


中国、韓国、日本の文化・習慣などはほぼ一緒

中国、韓国、日本の文化・習慣などが同じだと思っている人は多いです。言葉も一緒だと思っている人もいるくらいです。私達がアフリカで使われている言語を知らないのと一緒ですね。


これらの事を目の当たりにすると「日本人であること」を強く意識させられます。
そしてタンザニアの人々は日本のことをとても「良いイメージ」で捉えています。勤勉で、経済発展もして、アフリカ援助もたくさんしている日本。資源目当てで進出してくる中国や、武力で事を解決しようとするアメリカは駄目だが日本は素晴らしいと言ってくれるタンザニアの方にも出会いました。

このような話をきくと、日本のことを誇りに思いますし、この日本を築いてきた先人に感謝する気持ちでいっぱいになります。

しかし同時に、日本は

財政の不健全、汚職、公金不正使用、犯罪の凶悪化、過労、家庭崩壊、などなど

深刻な問題もたくさん抱えています。なのでこのような事実もタンザニアの人々に伝え、

タンザニアと日本お互いにいい所と問題点があるからお互いに学びあっていこう

という観点でたくさんのタンザニアの人々と関わっていければと思います。

そしてタンザニア人が日本人にいろいろな「先入観」「イメージ」をもっているとの同様に日本人もタンザニア人にいろいろな「先入観」「イメージ」をもっています。知らないことがいっぱいある、「知らないということ」を知り、謙虚な姿勢を大切にしていこうと思います。


2008年5月9日

2008年5月4日

スワヒリ世界は挨拶重視

スワヒリ世界は挨拶重視


スワヒリ世界では挨拶が非常に重要な要素となります!日本も昔はよく知らない人にも挨拶したのかもしれませんが、ここタンザニアでは挨拶がとっても大事らしいです。
語学訓練の時に先生が言っていたのは、初対面の人に会ったときに挨拶をしないと親切にしてもらえない事もあるらしいです。
そして知り合い・友達となれば挨拶から始まり、いろいろな会話にかなりの時間をかけるときもあります!

ということで、今回は代表的な挨拶を紹介します!

S:swali(質問)
J:jibu(答え)


(挨拶) (読み) (直訳)

S:Hujambo?(フジャンボ)(あなたに問題はありませんね?)
J:sijambo!(シィジャンボ)(私に問題はありません)


日本の中学英語の教科書に「ジャンボ」が載っているものもあるらしく、ご存知の方も多くいるのではないでしょうか?
jamboは名詞では「事柄」「問題」という意味で、このような挨拶で動詞として使う場合は「問題がある」という意味になります。

hu- は2人称単数の否定専用の主語で英語で言うなら hu- = You do not です
si- は1人称単数の否定専用の主語で英語で言うなら si- = I do not です

なので以上を合わせると上のような意味の挨拶になります!

この挨拶からもわかるようにスワヒリ語では

否定文を作るときは主語を否定専用の主語に変える


のです!

英語は not などの否定の目印を付け足しますが、スワヒリ語は 主語そのものを否定用の別物に変えることで否定文を作ります


またスワヒリ語は

肯定文と疑問文で語順が同じ

です


S:Hamjambo?(ハムジャンボ)(あなた達に問題はありませんね?)
J:Hatujambo!(ハトゥジャンボ)(私達に問題はありません)

ham- は2人称複数の否定の主語で英語で言うなら ham- = You(複数)do not です
hatu- は1人称複数の否定の主語で英語で言うなら hatu- = We do not です

目の前にいる複数の人に挨拶するときはこれです!


S:mambo?(マンボ)(問題は(調子は)?)
J:poa!(ポア)(クールだよ)
J:safi!(サフィ)(最高だよ)
J:shwari!(シュワリ)(全く問題なしだよ)


mamboは上で出てきたjamboの複数形です。
名詞の単数形と複数形については相当話が長くなるので(笑)、また書きますね~

このやりとりは主に友達や若者同士での挨拶です。最近では年代問わず広く使われているようですが、目上の人に対しては使うと失礼に値します。

poaの原義は「冷める」らしいです。英語のcool!と似てて面白いですよね
safiの原義は「清潔な」です
shwariの原義は「静寂・凪」だそうです


S:Habari gani? (ハバリ ガニ)(どんなニュースがある?調子どうだい?)
S:Habari za ---??(ハバリ ザ ~)(~の調子はどうだい?)
J:Nzuri! (ンズリ)(良いです)


habariは「事情・ニュース」の名詞
ganiは「どの・どんな種類の」に相当する疑問詞 英語の「which」に似て使うときがある語です

zaは英語の「of」(所有・属性を表す)にあたる語ですが、この「of」の意味の語はza以外にいっぱいあって、前の名詞の種類・単数か複数かに依って変化します(焦)また書きます

zaの後には
(kazi、仕事)
(familia、家族)
(watoto、子供)
(mke、奥さん)
(mume、夫)

などを入れて、相手の近況を気遣います。

返事はまず、常にNzuri! (ンズリ)(良いです)で答えるのが通常だそうです。

あるタンザニア人のスワヒリ語の先生曰く
「たとえ自分が2日後に死ぬくらい具合が悪くても最初はます、Nzuri!と言え」
だそうです(笑)

パターン化してるんですね


S:shikamoo(シカモー)(尊敬します)
J:marahaba(マラハバ)(承知した)


これは年長者に対する挨拶です!もしタンザニアに来るならこの挨拶は知っていたほうがいいでしょう。スワヒリ世界でも年長者を尊敬することが非常に重要視されていて、挨拶もこのように違います。

年長者にmambo?と挨拶すると、「sema shikamoo」(シカモと言え)と怒られるらしいですし、私も子供にはshikamooと挨拶されることがあります。

この挨拶いっぱいの習慣のおかげで道端で初めて会った人とでもたくさん話をすることができます。
長くいると挨拶が煩わしく思える時もあるようですが(笑)


2008年5月4日

2008年5月3日

任地視察(写真編2)

私の住む家です。学校から歩いて10分かからないくらいのところにあります。
(隊員の住む家は配属先が提供するのが原則です)

寝室です(まだベッドと椅子しかありません)



玄関入ってすぐの間(右側の扉が玄関、奥は倉庫の扉、左の扉から他の部屋に行きます)


風呂場というか、オガする場所(スワヒリ語で体を流すことを動詞で oga というので)

バケツに汲んできた水を体にかけながら汗を流します


トイレ(オガの隣)

バケツに汲んできた水を使って流します

任地視察(写真編1)

学校の写真です
学校周辺の敷地です

メインの校舎です

1996年にsecondary-schoolとして設立されたそうです

現在、form1~form4の生徒数500以上で先生の数が7人です


校舎の壁に書いてあるシンボル

上半分は学校名です

下半分は「規律と働きが教育を向上させる」と書いてあります

(教科書の絵の上には科目が書いてあります)


学校の隣にある大きな教会(日曜には多くの村人が来るそうです)

任地視察

任地「ルクレディ」


任地訪問に行ってきました。
これから約2年間働かせてもらう村、学校を案内してもらい、これから約2年間私が住む家に2泊し、村の人々に自己紹介してきました。5月11日の本赴任を控え、準備に役立てるのが主な目的です。


任地の場所・交通事情


私の任地ルクレディはタンザニア南東部、ムトワラ州の内陸部にあります!今回は首都ダルエスサラームから2日かけてルクレディに行きました。

1日目、飛行機で首都ダルから南東部の主要都市ムトワラに行きました。
2日目、バスで約6時間かけてムトワラから内陸部の主要都市マサシまで行き、そこからさらにバスで1時間くらいかけて北上するとルクレディに着きます。

ムトワラからマサシまでの道路はほとんどが舗装されていて車は走りやすいです。マサシからルクレディまでの道路は未舗装のため、天候に左右されてしまいます。南東部は今は雨がほとんど降らない時期のようで道が乾いていて状態が良かったため、今回は30分くらいでマサシからルクレディまで行けました。


ルクレディ中等学校


配属先のルクレディ中等学校はとってもいいところ・すごい所でした!!
田舎に位置する学校なので、とても小さく設備もないないだらけの学校を想像してしました。

しかし!!

実際はとっても大きく、設備もとても整っていました。
まず、メインの校舎が2階建てです☆きれいだし、本当にすごいです。
また「実験棟」があり、しかも「物理実験棟」「化学実験棟」「生物実験棟」と”分かれて”います。そして実験設備や試薬などもある程度そろっています。開発途上国の田舎の学校としては、「最高の設備」と言っても過言ではない気がします。

ルクレディ中等学校は自然に囲まれた敷地内にあり、隣に

大きな教会
職業訓練校(裁縫、大工などを学ぶ学生がいる)
簡易病院
耳の聞こえない児童・生徒さんたちが通う学校

もあります。いろいろな学校・設備に囲まれ、本当に恵まれた環境です。
ここに住み、仕事をし、人々と関わる中でいろいろな経験ができそうな気がします。


ルクレディの人々


配属先の校長先生はとってもいい人でした(^0^)
しっかりしているし、話もわかりやすいし、話をしっかり聞いてくれます。
「困ったことがあったら何でも相談できる」と思える人なので、かなり安心です。

私はこの学校で働く4代目なのですが、家には代々の先輩隊員をお世話してきたママ(お手伝いさん)が来ることが可能みたいです。今回ママに会って話をしたのですが、そのママがちょっと図図しい感じで、ママの中では毎日来ることが当たり前みたいになっているらしく、会ったばかりなのにお給料のこととか、給料前借りの話をしてきて、ちょっと戸惑いました。ママは、「何でもするから」という感じでかなり多くの時間、うちにいることを前提としているようです。本赴任後ママに「何を」「どれくらい」してもらうのか考えて、自分で決めなければいけません。なので、今はママとの距離感のことでちょっと考え中です。。。人を雇うことももちろん今までしたことがないので、、、


村の人々は本当に友好的です。前任者の方がこの村をたくさん愛していた影響もあり、その後任である私にも優しく接してくれます。大人の皆さんは協力隊のこともよく知っていますし、小さい子供は「ジャパニ!!」と呼んでくれます(みんな飴が欲しいらしいです笑)

これからこの村の人々とたくさん話をして、たくさん遊んでいきたいと思います!


ルクレディの環境


ビール・ジュース・水や日用品を売っているお店もいくつかあり、ご飯を食べる食堂も2、3個あるので、「何もない」というわけでは全くなくそんなに不便はしないと思います。
村人のほとんどは土壁の家に住んでいて、鶏がその辺をたくさん歩いています。また道には牛のフンがたくさん落ちています。牛を引き連れた村人がよく通るので。人々が家畜と共に暮らしているというのが実感できます。村の人々の家を訪れてもっといろいろな関わりを持てたらまた報告します!



私の住む家


家は想像していたのとは異なり「豪邸」です。
部屋の数は5ですし、前任者の時にこの家に泥棒が入った影響もあり防犯設備がとてもしっかりしています。
トイレ・風呂場も家の中にあるし、電気の配線も家に通っています。(今回滞在中は全く電気が来ていませんでしたが笑)
水道も家の玄関の外近くにあるし、そんなに不自由はなさそうです。



感想


飛行機はアフリカ大陸東海岸を南下し、その間機内からはインド洋が見えました。
とても綺麗な海。
ムトワラからルクレディまでのバスの中からは常に
たくさんの木・草が生い茂る
のを見ることができました。
タンザニアが本当に自然に恵まれているのを見ることができました。

ルクレディで見た夜空の美しさは印象深いです。

事前にいろんな先輩隊員から「すごく田舎で、大変なところだよ」という感想を聞きましたが、自分の目で見てみた感想は違ったものでした。改めて

「どう感じるかは個人に依る」  ということと
「百聞は一見に如かず」     ということを感じました。


まだ自分が数学教員として毎日の仕事をしている姿には実感が足りませんが、この環境に助けられながら生活していくのだろうと思います。
校長先生・同僚・学校の生徒たち・ママ・村の人々にたくさんお世話になるでしょう。
隊員・学校の教員としての自覚と、謙虚な気持ちの両方を持ち、この村で活動して行きたいです。

このようなすばらしい環境を与えられたことに心から感謝です。


2008年5月3日

2008年4月27日

村での体験(写真編3)

第3弾です(ここ最近はインターネット接続の調子がいいです!使えることに感謝です)
実を採るためにやしの木に上る村人(私もトライさせてもらいましたが無理でした、、、すごい。てかどのくらいのスピードで上っていたかをお伝えできず残念です、速!!!)

村人の皆さんと隊員で一緒に踊っている(木の棒を持っています、太鼓のリズムに合わせ、歌を歌いながら)


子供とおさむちゃん(おさむちゃんはこどもたちのカリスマです)


村でもやりましたよ!ダブルダッチ☆(私がスワヒリ語で跳び方を説明するのに戸惑っているのも関係なくチャレンジしてくれました!この男の子は本当に上手に跳んでました!嬉)


最後に集合写真。ほんとうにありがとうございました

村での体験(写真編2)

第2弾です
これがトイレです(穴があるのが見えますか)

部屋の中の様子(蚊帳を吊り終わった後です)


村のおじさんに太鼓のたたき方を教わっているところ


村のこどもたち


子供たち(みんな写真が大好きで変顔ショットもバッチリ☆)

村での体験(写真編1)

village-stayの時の写真をアップします!!一眼レフを持ってきた隊員(おさむちゃん)からいただきました!!とってもきれいに撮れているので、みなさん御堪能を~



村の風景(ほんの一部ですが)



村にある果物売り場(柑橘系、すいかなどです)


「ウガリ」を作っているところ(村のお母さんたちとみゆき隊員が一緒に混ぜています)


出来上がった「ウガリ」(ほうれん草系の草や、小魚のソースと共に食べます。おいしい!!)

おさむちゃんと私がお世話になった家庭のみんなと(おとうさん、おかあさん、兄弟、子供を抱いているのが長男のお兄ちゃん)後ろにある家に泊まらせてもらいました。

2008年4月26日

食べ物と命

食べ物と命


毎日必ずすることである食事。

食べ物がない、、、となったらおそらくとんでもないパニックになるでしょう
食べ物が足りない状況では食べ物を求めて人と人が争うのもありえることかもしれません


現代日本に生まれ、幸いにも何不自由なく育ててもらった私は食べ物に困ったことは一度もありません。1年半くらい前までは、

食べることが「生きるのに不可欠な最低限のニーズ」


だということはすっかり忘れ、より「おいしいと感じられるもの」を食べたいって気持ちでいっぱいになっている自分がいました。日本のテレビでは「おいしいと評判な料理」とか「贅沢な料理がこんなに安く食べれる」などのテーマを扱った番組がたくさんあり、そういうのを見ているとやっぱり「食べる贅沢」を味わいたいという気持ちになってしまいます。


しかし今現在でも世界全体のことを考えると(日本も含みますが)、数多くの人が食べ物が足りない辛い生活をしています。

地球環境問題によって気候や生態系が変化し食べ物の収量が減る恐れ
や、
2050年に世界人口が約90億人に達するという見通し


を考えると、「食糧危機」が悪化の方向に向かう可能性は大きいと思います。そうなれば、日本もどうなるかわかりません。多くの重要な食料を輸入に頼る現状を踏まえると、日本も世界における食料危機が深刻化したときに大変な状況を経験するのかもしれません。


私は両親や中学の頃の恩師・青柳先生の影響があり、嫌いな食べ物は元々なかったのですが、このようなことを考え始めてから前にも増して食べ残しをしないと強く思うようになりました。食べ物を「商品」として扱う社会経済の仕組み上、仕方ないのかもしれませんが日本では莫大な量の食べ物が毎日「破棄」されているようです。自分もこの仕組みの中で「食べ放題」してきたので、否定はできないのですが、せめて食べ物を残さず大切に食べようと思うのです。


食べ物はもともと命です。植物・動物の命を奪って人間は「食べて」います。莫大な量の食べ物を「破棄」することは「莫大な量の命を破棄すること」だとも考えられます。だから少しはこの仕組みが変わるといいなと思うのです。


映画「いのちの食べかた」

このドキュメンタリー映画は鶏肉・牛肉などの食肉加工工場の様子を、主に「撮影しただけ」の映画です。鶏や牛が

人間に食べられるために「生み出され」
人間に食べられるために「育てられ」
人間に食べられるために「殺され」
人間に食べられるために「流れ作業で解体される」
様子が、淡々と登場します。

私たちがリーズナブルな価格でおいしくお肉が食べられる背景には「誕生から解体まですべてを人間に”管理されている”動植物の存在」があるのだと強く知るに至ります。

世の中が便利すぎて、「食べるということは命をいただくことである」という常識がとっても遠いところにあるのかもしれません。私も今でもそうなのかもしれません。


隊員が任国に派遣される前に受ける2ヶ月間の訓練(私の場合は福島県)のなかで、「鶏解体」の授業がありました。

生きている鶏を木に縛りつけ、首を切り、熱湯に入れた後、全身の羽をもぎ取り、包丁を使って足・内臓・他の部位の肉と解体していくということを料理長の指導の下、隊員候補生が実際に行いました。

作業の中では、鶏の体の温かさを感じ、首を切るときは血が飛び散り、血生臭さがしました。この作業を通じて、「普段食べている肉は動物を殺して得ているのだという実感」が得られました。ただし、今現在では、これらのほとんどの作業を機械が自動的に効率よく行うので、自分の手で殺してから食べることは滅多にありません。

肉を取り巻くこのような状況を受け入れることができずにベジタリアンになった友人にも去年の夏、出会うことができました。彼女の取った生き方はさらに自分を考えさせました。

私は、食べ物に感謝し残さず大切にいただくことを私の「食べかた」としていこうと思っています。


いつも「いただきます」の意味をしっかりと考えられる自分でありたいと思います。


食べ物に感謝


2008年4月26日

私にとって大切なこと

私にとって大切なこと


私が思う「私にとって大切なこと」について書かせてもらいたいと思います。

このことを真剣に考えたくて、このことに対し自分はどのような行動が起こせるのか挑戦したくてここタンザニアに来たので、日本にいるときに考えていたことを書いてみたいと思います。


何のために働くんだろう?何の仕事をしたら自分は幸せなんだろう?

日本での自分の生活基盤がこれだけ整っているのはなぜなんだろう?

自分がこれだけ不自由なく、やりたい放題に生活できるのはどうしてなんだろう?

楽しいって・幸せってどういうことだろう?


と考え、いろいろな側面をたどっていくと、命の大切さにたどり着きます


「生きていてこそ」の楽しさ・幸せ

他のあらゆる植物・動物の命を奪いながら生きていることへの自覚(自分は自然環境や生態系の仕組みの中で生かされている。自然環境や生態系が壊れれば自分はおそらく生きられない)

命のつながりがあって今の自分がある(自分の先人たちがなした努力によって今の社会は存在し、両親・祖父母をはじめとする先祖がいるから今の自分の命がある)

地球上の人間みんな、「生きていたい」と思う気持ちは一緒という事実



このようなある意味当たり前の事実をしっかりと考える時間が今まで少なかった私は、

自分の生き方・物の考え方がこれらの「大切なこと」に矛盾していた、そして今も矛盾していることに気づきました。

もしかしたら自分にとっての幸せもわからないままずっと生きていくのかもしれないし、この大きな矛盾が解消されることは死ぬまでないのかもしれない。

でも今なら挑戦できる。これらの「私にとって大切なこと」をたくさん考え、実際に行動するために。


戦争(紛争)
貧困(飢餓)
食料・水不足につながる人口問題・環境問題
HIV/AIDS・マラリアなどの病気


これらは人間の命を直接脅かし、実際に多くの方が今日も命を落とされています

「命の大切さ」を考えると、これらは本当に恐ろしい問題であり、私自身は同じ人間としてこれらの問題を軽減することを自分なりに考えなければならないと思いました。しかし日本で何不自由なく暮らしたことしかない私は、それ以前はこのことをずっと真剣に考えてきませんでした。

そしてどうにかこれらの問題にも自分なりに行動をしたいと思ったときに自分の生活基盤や生活環境を変えてみたいと思いました。

日本にいたままでも有効な行動はいっぱい取れるし、むしろ日本にいたほうが有効な行動が取れる側面もいっぱいあると思います。


しかし私の至った考えは

実際にこれらの深刻な問題の影響を直接受け、「基本的な人間の安全保障」が満たされない人々が多く暮らしている発展途上国に住んで、現地の人々と共に生活し、人々・文化・生活とたくさん関わりたい。そして自分の考え・行動と向き合いたい

というものです。


隊員としての活動は「草の根」の支援、「物ではなく技術」の支援をテーマとして、現地の人と共に生活することが重要な要素となります。2年間の活動の中で自分なりの成果を出せるようにしたいです。日本にいる時に考えていたこととタンザニアに来て感じることを熟慮し、たいせつにしていきたいと思います。自分の中の矛盾としっかり向き合って、自分の無力さや自分にできることをたくさん考えたいと思います。


また隊員活動にかかる経費は全てODA、つまり日本国の税金です。日本国の代表としての自覚をもって、しっかりとした活動をしていきたいと思います。


「命の大切さ」を考えると、「ありがとう」の気持ちでいっぱいになります。

自分に与えられた環境に感謝し、
自分を支えてくれる全ての人々に感謝し、
自分を育んでくれる自然に感謝し、
自分の命の存在に感謝です


ほんとうにありがとうございます


2008年4月26日

2008年4月25日

スワヒリ語のとりこ

スワヒリ語の面白さ


重要性


東アフリカ、主にタンザニア・ウガンダ・ケニアで話されているスワヒリ語。
(スワヒリとは海岸という意味だそうです、アフリカ東海岸部の人たちが話していたそうです)

タンザニアではスワヒリ語は「国語」として国民の99%の人が話せるそうです。話せないのは4部族だけで、そのほかの120を超える部族の人々がスワヒリ語で会話をしています。

タンザニアでは初等教育でスワヒリ語をしっかりやり、「公用語」である英語は中等教育から学びます。初等教育から英語をやっているケニア・ウガンダと比べて、英語を話せる人の割合・そのレベルは低いですがスワヒリ語を「国語」として愛し、みんなが話すことで部族や地域を超えて人々は話し合い、尊重し合い、平安なタンザニアをみんなで作り上げているそうです。実際、私が人々と話すときもスワヒリで会話し、人々は暖かく迎え入れてくれます!相手が英語でしゃべりたい人である場合を除いては、普段の会話は基本的にスワヒリ語です!大概、おお!お前はスワヒリ語で元気にしゃべるなー!ってにっこりしてくれますよ。


家族と会話するときは部族の言葉を使うそうで、それはそれぞれスワヒリとはまったく異なるようです。小学校を出る時点で99%の人が2つの言葉をしゃべれる!日本ではあまりないですよね。

私は2007年冬からスワヒリ語を本で勉強し、3月下旬にタンザニアに来てから訓練としてタンザニア人にスワヒリの授業をしてもらいましたが、この期間だけで完全にスワヒリ語の虜になってしまいました!!!
言語として単純に見てもとっても面白い!!また、多様な部族・習慣・宗教などを基盤とした人々が共生するための強力なツールであるスワヒリ語その役割を考えると、すごく大きなテーマに対してのヒントのように思えてきます。タンザニアは争いなく1964年の独立以来、平安を保ち、近隣諸国との連携を大切にする姿勢を貫いてきたそうです。そんなこんなで私はスワヒリ語が大好きです!


紹介


そんな大好きなスワヒリ語をできるだけ多くの日本の皆さんにも知ってもらいたいというのが私の想いです。ということで、そんな権利はないかもしれませんが、少しずつスワヒリ語のいろいろな側面を紹介していきたいと思います!

日本語と語自体・語の音が似ている単語がけっこうある


これが最初のトッピクです!なんといってもやっぱり皆さんに興味を持ってもらいたいので「おもいろい」ってのを紹介します
スワヒリの単語は日本語の単語と似てる音のものがけっこうあり、なかなか面白いですもちろん意味は違うのですが、、、どんな感じかというと


スワヒリ                      日本語の例文
語(発音)(意味)
maji(マジ)(水)                 majiってマジ大切だよね!
uso(ウソ)(顔)                  usoに嘘って書いてあるよ!
shikamoo(シカモー)(年長者への挨拶)
mambo(マンボ)(挨拶、調子どうだい?)
busu(ブス)(キスする)
uma(ウマ)(フォーク)              馬はumaは使わないよな
kisu(キス)(ナイフ)                キスする時はkisuは置いてからね


みたいな感じです!日本語の例文が微妙なのは受け流してあげてください!

面白くないですか??
これはタンザニア人に話しても大盛況です!特にusoは皆、面白いみたいで受けてますね!
(^0^)

スワヒリ語について、またいろいろ書いていく予定なのでお楽しみに~


2008年4月23日

2008年4月24日

タンザニアに来て

タンザニアに来て

到着して1カ月。まだ首都ダルエスサラームにしかいませんが、
得た情報・知ったこと・思ったことを書いてみます!

人々

全般的な印象は、男性は陽気、元気、テンション高い!女性は控えめ、おとなしい!
もちろん、男女で分けて一括りにはできませんが、街を歩いているときはこんな感じです!
そしてタンザニアは挨拶重視の社会!知らない人でも挨拶しまくります(私にはピッタリの
社会)私が歩いているときも、特に若い兄さんはmambo-!!(マンボー!、挨拶)
と声をかけてくれますし、道ですれ違うおじさんにshikamoo(シカモ、年長者への挨拶)と
こちらから声をかけると「どこから来たんだ?」「どこで仕事をするんだ?」と会話が始まり、
しまいにはタンザニアの発展についての話に「発展」し、携帯番号交換寸前まで行って
しまうときがあります!(初めて会ってこうなるのはたまらなく嬉しい)

気候

首都ダルエスサラームにしかまだいないので、なんなんですが今タンザニアはとても涼しいです
4月から5月くらいまで?大雨季とよばれる雨季で、ほぼ毎日断続的に雨が降ります!
小雨季と乾季もあってこれから2年のあいだに2サイクル経験します!
雨季が来なかったり、短かったり、大雨になったり、地球環境変動とも絡み、
タンザニアでも自然災害にも遭遇するかもしれません。
基本的に熱い~のは海岸部だけで、内陸部は高度が高いので普通に「寒い」ようです。
ある地域ではセーターやジャケットがいるらしいです!

食べ物

今のところ、食べる頻度が高いものを列挙してみます
wali(ワリ) 米です!首都ダルエスでは普通に白ご飯が食べれます
ndizi(ンディジ) 甘くないバナナ!東アフリカの主食、芋のようにたべるか、揚げてあるか
ugali(ウガリ) 水ととうもろこし粉をこねて作った団子みたいなやつ。東アフリカの主食!!
         右手で捏ねて食べる。美味、とくに熱いウガリはおいしい!
maharage(マハラゲ) 豆という意味。いろんな豆が煮て調理される。日本の味付けと似てます
kuku(鶏肉)、nyama(牛肉) 肉はいろいろあります!
とあくまで主観での紹介です!今のところ、おいしいおいしいの毎日です!
私の任地はモザンビークに近い南東部ムトワラ州のマサシという町から少し行った所なのですが
任地にいったら、ねずみは基本的に食べるようです。なんか虫を食べるといううわさもあるのでかなり
ワクワクです!毛虫はちょっと心の準備が必要ですね、、、昆虫希望

首都ダルエス(通貨、車)

人口密度が高く、物価も高く、首都って感じがします!移動手段は昼間は安全なので、価格
重視で乗り合いバス(ダラダラという)に乗ります!ただしこれが埼京線にも東京メトロにも
スーパーの超特価セールにも負けないくらいの込み具合です(笑)タンザニアンとしゃべろうにも
振り向くのも自由にできません、、料金は250シリングから350シリングくらい。
ちなみに通貨単位は「タンザニアシリング」で、1000シリング=約100円です。
夕方から明け方までは危険なのでタクシーを使いますが、こちらは遠いと10000シルくらい
かかります。あと車!!!!!今のところ、乗用車もバスも走っているのはほとんど日本車!
新車も中古車も!ダラダラのほとんどはおそらく日本で廃車になったものを輸入してるんじゃ
ないかって感じのおんぼろで、スピードメーターがちゃんと動いているダラダラを見たことがまだ
ありません。(もうダラダラには何回も乗りましたが、、)自動車整備の隊員もよく動くなと驚いて
いました。排気ガスとかも大丈夫かって感じはしますが、社会経済的にそこに気を配る余裕は
ないのだと思います。先進国と途上国との関係、便利な道具はみんなが使いたいという現実、
日本の排ガス規制などの取り組みは先進国の人のためだけの取り組みなのか、(誰のための
環境問題なのか)などいろいろ考えされられると同時に、自分の無知や自分の中の矛盾に
改めて気づくことになります。

またいろんな地域のことをかけたらいいなと思います。
次回をお楽しみにしてください!

2008年4月23日

村での体験

村での体験

2008年4月18、19日で「village-stay」という、村にホームステイする企画があり、行ってきました!数年前から新隊員向けに始まった行事で、現地語学訓練(スワヒリ語)の間に1泊2日で村に宿泊し、食事・仕事などの生活を一緒に送るというものです!企画・準備はほぼJICA事務所が行ってくれました!私たちのした事前準備は、日本の料理を作るように食材・調理器具を準備したくらいです。

村の状況

村の皆さんの状況は木と土の壁、草の屋根で出来た家と、外に穴を掘っただけのトイレ(当然屋根なしで、囲いは一応あります)、シャワー(と言っても日本で言うシャワーではないですが)はその辺の茂みの中で井戸から汲んだ水を体にかける感じです。
村長、議長、女性のリーダーなどがいて、村人は協力しながら生活しています。
私がお世話になった家庭はお父さん・お母さんと子供が13人という構成で、20歳くらいのお兄ちゃん、中等学校に通う15歳くらいの弟くんが主にお世話してくれました!

食事

食事は水とウンガと呼ばれる粉(トウモロコシまたはキャッサバから作った白い粉)を混ぜてこねた「ウガリ」と呼ばれるものが主食で、毎日食べると言っていました。沸騰した水に粉を入れていくのですが、火は薪で起こしますし、村の皆が共同で作るので量が多く混ぜるのもかなり大変です。「ウガリ」は東アフリカでは広く主食として食べられているようで、当然ここタンザニアでもウガリは町でも常識化しています。首都の食堂で食べたウガリもおいしかったけど、村で食べたウガリは本当においしかったです!本当においしくて食べ続けていたら、周りの隊員に笑われました!!

お仕事体験

お仕事は2日目の朝に3時間くらい一緒にやらせてもらいました!まずは土運び。私たちがお世話になった家庭は家を増築中で、その家の壁になる土を運んでいました。畑の近くに穴が3mくらい掘ってあったのですが、深いところの土は地表部の土と質が異なり壁を作ることができます。次にやったのが田植え。家から少し歩いたところに田んぼがあり、そこで田植えをしました。山梨の祖父の手伝いで、稲刈りを手でやったことはありましたが、田植えを手でやったこ
とはなかったので、はじめての体験でした。足は泥まみれになりながらやり、終わった後は私たちの方は近くの川で足を洗い、家のお兄ちゃんのほうは裸で川で泳いでいました!
また村の人々による踊りや太鼓を見たり、一緒に踊ったり、いい経験をしました!

感じたこと

村にはもちろん水道も電気もありませんが、人々は本当に生き生きとしているように見えました。ここでの生活は本当に「原始的」だと考えることもできるけど、「原始的だ」という「ものさし」を使ってでしかこの生活を見れないのではもったいないなと思いました。生活をすることってどういうことなのか、幸せってどういうことなのか、なんかありきたりかもしれないけれど、こういうことをしっかり考えたくてタンザニアに来たので、とっても貴重な経験でした。
そしてタンザニアにおけるスワヒリ語の威力を改めて感じました!村でもスワヒリ語は何の問題もなく通じます!毎日スワヒリ語を勉強して、とっても楽しいけど、さらにヤル気が高まりました!地域が違っても、部族が違ってもスワヒリがあるから人々は仲良く協調して、平安なタンザニアを築いているんだなと自分で村人と話すことで実感できました。
いっぱい家族の人と話をして、村の踊りを見て一緒に踊り、子供と遊び、人々の営みを体験してとっても嬉しかったです!
私の任地はタンザニア隊員の中でも有名な「田舎」の村らしいので、これから始まる活動をいっぱい楽しめる気がします。つらい現実をたくさん見たり、体験したりすることもあるかもしれませんが、受け止め吸収したくさん考え、そして行動していきたいです。

貴重な体験をさせてくれた関係者のみなさん、
あたたかく迎えてくれた村の人々、
タンザニア隊員の仲間に
心から感謝します

2008年4月23日