2008年4月27日

村での体験(写真編3)

第3弾です(ここ最近はインターネット接続の調子がいいです!使えることに感謝です)
実を採るためにやしの木に上る村人(私もトライさせてもらいましたが無理でした、、、すごい。てかどのくらいのスピードで上っていたかをお伝えできず残念です、速!!!)

村人の皆さんと隊員で一緒に踊っている(木の棒を持っています、太鼓のリズムに合わせ、歌を歌いながら)


子供とおさむちゃん(おさむちゃんはこどもたちのカリスマです)


村でもやりましたよ!ダブルダッチ☆(私がスワヒリ語で跳び方を説明するのに戸惑っているのも関係なくチャレンジしてくれました!この男の子は本当に上手に跳んでました!嬉)


最後に集合写真。ほんとうにありがとうございました

村での体験(写真編2)

第2弾です
これがトイレです(穴があるのが見えますか)

部屋の中の様子(蚊帳を吊り終わった後です)


村のおじさんに太鼓のたたき方を教わっているところ


村のこどもたち


子供たち(みんな写真が大好きで変顔ショットもバッチリ☆)

村での体験(写真編1)

village-stayの時の写真をアップします!!一眼レフを持ってきた隊員(おさむちゃん)からいただきました!!とってもきれいに撮れているので、みなさん御堪能を~



村の風景(ほんの一部ですが)



村にある果物売り場(柑橘系、すいかなどです)


「ウガリ」を作っているところ(村のお母さんたちとみゆき隊員が一緒に混ぜています)


出来上がった「ウガリ」(ほうれん草系の草や、小魚のソースと共に食べます。おいしい!!)

おさむちゃんと私がお世話になった家庭のみんなと(おとうさん、おかあさん、兄弟、子供を抱いているのが長男のお兄ちゃん)後ろにある家に泊まらせてもらいました。

2008年4月26日

食べ物と命

食べ物と命


毎日必ずすることである食事。

食べ物がない、、、となったらおそらくとんでもないパニックになるでしょう
食べ物が足りない状況では食べ物を求めて人と人が争うのもありえることかもしれません


現代日本に生まれ、幸いにも何不自由なく育ててもらった私は食べ物に困ったことは一度もありません。1年半くらい前までは、

食べることが「生きるのに不可欠な最低限のニーズ」


だということはすっかり忘れ、より「おいしいと感じられるもの」を食べたいって気持ちでいっぱいになっている自分がいました。日本のテレビでは「おいしいと評判な料理」とか「贅沢な料理がこんなに安く食べれる」などのテーマを扱った番組がたくさんあり、そういうのを見ているとやっぱり「食べる贅沢」を味わいたいという気持ちになってしまいます。


しかし今現在でも世界全体のことを考えると(日本も含みますが)、数多くの人が食べ物が足りない辛い生活をしています。

地球環境問題によって気候や生態系が変化し食べ物の収量が減る恐れ
や、
2050年に世界人口が約90億人に達するという見通し


を考えると、「食糧危機」が悪化の方向に向かう可能性は大きいと思います。そうなれば、日本もどうなるかわかりません。多くの重要な食料を輸入に頼る現状を踏まえると、日本も世界における食料危機が深刻化したときに大変な状況を経験するのかもしれません。


私は両親や中学の頃の恩師・青柳先生の影響があり、嫌いな食べ物は元々なかったのですが、このようなことを考え始めてから前にも増して食べ残しをしないと強く思うようになりました。食べ物を「商品」として扱う社会経済の仕組み上、仕方ないのかもしれませんが日本では莫大な量の食べ物が毎日「破棄」されているようです。自分もこの仕組みの中で「食べ放題」してきたので、否定はできないのですが、せめて食べ物を残さず大切に食べようと思うのです。


食べ物はもともと命です。植物・動物の命を奪って人間は「食べて」います。莫大な量の食べ物を「破棄」することは「莫大な量の命を破棄すること」だとも考えられます。だから少しはこの仕組みが変わるといいなと思うのです。


映画「いのちの食べかた」

このドキュメンタリー映画は鶏肉・牛肉などの食肉加工工場の様子を、主に「撮影しただけ」の映画です。鶏や牛が

人間に食べられるために「生み出され」
人間に食べられるために「育てられ」
人間に食べられるために「殺され」
人間に食べられるために「流れ作業で解体される」
様子が、淡々と登場します。

私たちがリーズナブルな価格でおいしくお肉が食べられる背景には「誕生から解体まですべてを人間に”管理されている”動植物の存在」があるのだと強く知るに至ります。

世の中が便利すぎて、「食べるということは命をいただくことである」という常識がとっても遠いところにあるのかもしれません。私も今でもそうなのかもしれません。


隊員が任国に派遣される前に受ける2ヶ月間の訓練(私の場合は福島県)のなかで、「鶏解体」の授業がありました。

生きている鶏を木に縛りつけ、首を切り、熱湯に入れた後、全身の羽をもぎ取り、包丁を使って足・内臓・他の部位の肉と解体していくということを料理長の指導の下、隊員候補生が実際に行いました。

作業の中では、鶏の体の温かさを感じ、首を切るときは血が飛び散り、血生臭さがしました。この作業を通じて、「普段食べている肉は動物を殺して得ているのだという実感」が得られました。ただし、今現在では、これらのほとんどの作業を機械が自動的に効率よく行うので、自分の手で殺してから食べることは滅多にありません。

肉を取り巻くこのような状況を受け入れることができずにベジタリアンになった友人にも去年の夏、出会うことができました。彼女の取った生き方はさらに自分を考えさせました。

私は、食べ物に感謝し残さず大切にいただくことを私の「食べかた」としていこうと思っています。


いつも「いただきます」の意味をしっかりと考えられる自分でありたいと思います。


食べ物に感謝


2008年4月26日

私にとって大切なこと

私にとって大切なこと


私が思う「私にとって大切なこと」について書かせてもらいたいと思います。

このことを真剣に考えたくて、このことに対し自分はどのような行動が起こせるのか挑戦したくてここタンザニアに来たので、日本にいるときに考えていたことを書いてみたいと思います。


何のために働くんだろう?何の仕事をしたら自分は幸せなんだろう?

日本での自分の生活基盤がこれだけ整っているのはなぜなんだろう?

自分がこれだけ不自由なく、やりたい放題に生活できるのはどうしてなんだろう?

楽しいって・幸せってどういうことだろう?


と考え、いろいろな側面をたどっていくと、命の大切さにたどり着きます


「生きていてこそ」の楽しさ・幸せ

他のあらゆる植物・動物の命を奪いながら生きていることへの自覚(自分は自然環境や生態系の仕組みの中で生かされている。自然環境や生態系が壊れれば自分はおそらく生きられない)

命のつながりがあって今の自分がある(自分の先人たちがなした努力によって今の社会は存在し、両親・祖父母をはじめとする先祖がいるから今の自分の命がある)

地球上の人間みんな、「生きていたい」と思う気持ちは一緒という事実



このようなある意味当たり前の事実をしっかりと考える時間が今まで少なかった私は、

自分の生き方・物の考え方がこれらの「大切なこと」に矛盾していた、そして今も矛盾していることに気づきました。

もしかしたら自分にとっての幸せもわからないままずっと生きていくのかもしれないし、この大きな矛盾が解消されることは死ぬまでないのかもしれない。

でも今なら挑戦できる。これらの「私にとって大切なこと」をたくさん考え、実際に行動するために。


戦争(紛争)
貧困(飢餓)
食料・水不足につながる人口問題・環境問題
HIV/AIDS・マラリアなどの病気


これらは人間の命を直接脅かし、実際に多くの方が今日も命を落とされています

「命の大切さ」を考えると、これらは本当に恐ろしい問題であり、私自身は同じ人間としてこれらの問題を軽減することを自分なりに考えなければならないと思いました。しかし日本で何不自由なく暮らしたことしかない私は、それ以前はこのことをずっと真剣に考えてきませんでした。

そしてどうにかこれらの問題にも自分なりに行動をしたいと思ったときに自分の生活基盤や生活環境を変えてみたいと思いました。

日本にいたままでも有効な行動はいっぱい取れるし、むしろ日本にいたほうが有効な行動が取れる側面もいっぱいあると思います。


しかし私の至った考えは

実際にこれらの深刻な問題の影響を直接受け、「基本的な人間の安全保障」が満たされない人々が多く暮らしている発展途上国に住んで、現地の人々と共に生活し、人々・文化・生活とたくさん関わりたい。そして自分の考え・行動と向き合いたい

というものです。


隊員としての活動は「草の根」の支援、「物ではなく技術」の支援をテーマとして、現地の人と共に生活することが重要な要素となります。2年間の活動の中で自分なりの成果を出せるようにしたいです。日本にいる時に考えていたこととタンザニアに来て感じることを熟慮し、たいせつにしていきたいと思います。自分の中の矛盾としっかり向き合って、自分の無力さや自分にできることをたくさん考えたいと思います。


また隊員活動にかかる経費は全てODA、つまり日本国の税金です。日本国の代表としての自覚をもって、しっかりとした活動をしていきたいと思います。


「命の大切さ」を考えると、「ありがとう」の気持ちでいっぱいになります。

自分に与えられた環境に感謝し、
自分を支えてくれる全ての人々に感謝し、
自分を育んでくれる自然に感謝し、
自分の命の存在に感謝です


ほんとうにありがとうございます


2008年4月26日

2008年4月25日

スワヒリ語のとりこ

スワヒリ語の面白さ


重要性


東アフリカ、主にタンザニア・ウガンダ・ケニアで話されているスワヒリ語。
(スワヒリとは海岸という意味だそうです、アフリカ東海岸部の人たちが話していたそうです)

タンザニアではスワヒリ語は「国語」として国民の99%の人が話せるそうです。話せないのは4部族だけで、そのほかの120を超える部族の人々がスワヒリ語で会話をしています。

タンザニアでは初等教育でスワヒリ語をしっかりやり、「公用語」である英語は中等教育から学びます。初等教育から英語をやっているケニア・ウガンダと比べて、英語を話せる人の割合・そのレベルは低いですがスワヒリ語を「国語」として愛し、みんなが話すことで部族や地域を超えて人々は話し合い、尊重し合い、平安なタンザニアをみんなで作り上げているそうです。実際、私が人々と話すときもスワヒリで会話し、人々は暖かく迎え入れてくれます!相手が英語でしゃべりたい人である場合を除いては、普段の会話は基本的にスワヒリ語です!大概、おお!お前はスワヒリ語で元気にしゃべるなー!ってにっこりしてくれますよ。


家族と会話するときは部族の言葉を使うそうで、それはそれぞれスワヒリとはまったく異なるようです。小学校を出る時点で99%の人が2つの言葉をしゃべれる!日本ではあまりないですよね。

私は2007年冬からスワヒリ語を本で勉強し、3月下旬にタンザニアに来てから訓練としてタンザニア人にスワヒリの授業をしてもらいましたが、この期間だけで完全にスワヒリ語の虜になってしまいました!!!
言語として単純に見てもとっても面白い!!また、多様な部族・習慣・宗教などを基盤とした人々が共生するための強力なツールであるスワヒリ語その役割を考えると、すごく大きなテーマに対してのヒントのように思えてきます。タンザニアは争いなく1964年の独立以来、平安を保ち、近隣諸国との連携を大切にする姿勢を貫いてきたそうです。そんなこんなで私はスワヒリ語が大好きです!


紹介


そんな大好きなスワヒリ語をできるだけ多くの日本の皆さんにも知ってもらいたいというのが私の想いです。ということで、そんな権利はないかもしれませんが、少しずつスワヒリ語のいろいろな側面を紹介していきたいと思います!

日本語と語自体・語の音が似ている単語がけっこうある


これが最初のトッピクです!なんといってもやっぱり皆さんに興味を持ってもらいたいので「おもいろい」ってのを紹介します
スワヒリの単語は日本語の単語と似てる音のものがけっこうあり、なかなか面白いですもちろん意味は違うのですが、、、どんな感じかというと


スワヒリ                      日本語の例文
語(発音)(意味)
maji(マジ)(水)                 majiってマジ大切だよね!
uso(ウソ)(顔)                  usoに嘘って書いてあるよ!
shikamoo(シカモー)(年長者への挨拶)
mambo(マンボ)(挨拶、調子どうだい?)
busu(ブス)(キスする)
uma(ウマ)(フォーク)              馬はumaは使わないよな
kisu(キス)(ナイフ)                キスする時はkisuは置いてからね


みたいな感じです!日本語の例文が微妙なのは受け流してあげてください!

面白くないですか??
これはタンザニア人に話しても大盛況です!特にusoは皆、面白いみたいで受けてますね!
(^0^)

スワヒリ語について、またいろいろ書いていく予定なのでお楽しみに~


2008年4月23日

2008年4月24日

タンザニアに来て

タンザニアに来て

到着して1カ月。まだ首都ダルエスサラームにしかいませんが、
得た情報・知ったこと・思ったことを書いてみます!

人々

全般的な印象は、男性は陽気、元気、テンション高い!女性は控えめ、おとなしい!
もちろん、男女で分けて一括りにはできませんが、街を歩いているときはこんな感じです!
そしてタンザニアは挨拶重視の社会!知らない人でも挨拶しまくります(私にはピッタリの
社会)私が歩いているときも、特に若い兄さんはmambo-!!(マンボー!、挨拶)
と声をかけてくれますし、道ですれ違うおじさんにshikamoo(シカモ、年長者への挨拶)と
こちらから声をかけると「どこから来たんだ?」「どこで仕事をするんだ?」と会話が始まり、
しまいにはタンザニアの発展についての話に「発展」し、携帯番号交換寸前まで行って
しまうときがあります!(初めて会ってこうなるのはたまらなく嬉しい)

気候

首都ダルエスサラームにしかまだいないので、なんなんですが今タンザニアはとても涼しいです
4月から5月くらいまで?大雨季とよばれる雨季で、ほぼ毎日断続的に雨が降ります!
小雨季と乾季もあってこれから2年のあいだに2サイクル経験します!
雨季が来なかったり、短かったり、大雨になったり、地球環境変動とも絡み、
タンザニアでも自然災害にも遭遇するかもしれません。
基本的に熱い~のは海岸部だけで、内陸部は高度が高いので普通に「寒い」ようです。
ある地域ではセーターやジャケットがいるらしいです!

食べ物

今のところ、食べる頻度が高いものを列挙してみます
wali(ワリ) 米です!首都ダルエスでは普通に白ご飯が食べれます
ndizi(ンディジ) 甘くないバナナ!東アフリカの主食、芋のようにたべるか、揚げてあるか
ugali(ウガリ) 水ととうもろこし粉をこねて作った団子みたいなやつ。東アフリカの主食!!
         右手で捏ねて食べる。美味、とくに熱いウガリはおいしい!
maharage(マハラゲ) 豆という意味。いろんな豆が煮て調理される。日本の味付けと似てます
kuku(鶏肉)、nyama(牛肉) 肉はいろいろあります!
とあくまで主観での紹介です!今のところ、おいしいおいしいの毎日です!
私の任地はモザンビークに近い南東部ムトワラ州のマサシという町から少し行った所なのですが
任地にいったら、ねずみは基本的に食べるようです。なんか虫を食べるといううわさもあるのでかなり
ワクワクです!毛虫はちょっと心の準備が必要ですね、、、昆虫希望

首都ダルエス(通貨、車)

人口密度が高く、物価も高く、首都って感じがします!移動手段は昼間は安全なので、価格
重視で乗り合いバス(ダラダラという)に乗ります!ただしこれが埼京線にも東京メトロにも
スーパーの超特価セールにも負けないくらいの込み具合です(笑)タンザニアンとしゃべろうにも
振り向くのも自由にできません、、料金は250シリングから350シリングくらい。
ちなみに通貨単位は「タンザニアシリング」で、1000シリング=約100円です。
夕方から明け方までは危険なのでタクシーを使いますが、こちらは遠いと10000シルくらい
かかります。あと車!!!!!今のところ、乗用車もバスも走っているのはほとんど日本車!
新車も中古車も!ダラダラのほとんどはおそらく日本で廃車になったものを輸入してるんじゃ
ないかって感じのおんぼろで、スピードメーターがちゃんと動いているダラダラを見たことがまだ
ありません。(もうダラダラには何回も乗りましたが、、)自動車整備の隊員もよく動くなと驚いて
いました。排気ガスとかも大丈夫かって感じはしますが、社会経済的にそこに気を配る余裕は
ないのだと思います。先進国と途上国との関係、便利な道具はみんなが使いたいという現実、
日本の排ガス規制などの取り組みは先進国の人のためだけの取り組みなのか、(誰のための
環境問題なのか)などいろいろ考えされられると同時に、自分の無知や自分の中の矛盾に
改めて気づくことになります。

またいろんな地域のことをかけたらいいなと思います。
次回をお楽しみにしてください!

2008年4月23日

村での体験

村での体験

2008年4月18、19日で「village-stay」という、村にホームステイする企画があり、行ってきました!数年前から新隊員向けに始まった行事で、現地語学訓練(スワヒリ語)の間に1泊2日で村に宿泊し、食事・仕事などの生活を一緒に送るというものです!企画・準備はほぼJICA事務所が行ってくれました!私たちのした事前準備は、日本の料理を作るように食材・調理器具を準備したくらいです。

村の状況

村の皆さんの状況は木と土の壁、草の屋根で出来た家と、外に穴を掘っただけのトイレ(当然屋根なしで、囲いは一応あります)、シャワー(と言っても日本で言うシャワーではないですが)はその辺の茂みの中で井戸から汲んだ水を体にかける感じです。
村長、議長、女性のリーダーなどがいて、村人は協力しながら生活しています。
私がお世話になった家庭はお父さん・お母さんと子供が13人という構成で、20歳くらいのお兄ちゃん、中等学校に通う15歳くらいの弟くんが主にお世話してくれました!

食事

食事は水とウンガと呼ばれる粉(トウモロコシまたはキャッサバから作った白い粉)を混ぜてこねた「ウガリ」と呼ばれるものが主食で、毎日食べると言っていました。沸騰した水に粉を入れていくのですが、火は薪で起こしますし、村の皆が共同で作るので量が多く混ぜるのもかなり大変です。「ウガリ」は東アフリカでは広く主食として食べられているようで、当然ここタンザニアでもウガリは町でも常識化しています。首都の食堂で食べたウガリもおいしかったけど、村で食べたウガリは本当においしかったです!本当においしくて食べ続けていたら、周りの隊員に笑われました!!

お仕事体験

お仕事は2日目の朝に3時間くらい一緒にやらせてもらいました!まずは土運び。私たちがお世話になった家庭は家を増築中で、その家の壁になる土を運んでいました。畑の近くに穴が3mくらい掘ってあったのですが、深いところの土は地表部の土と質が異なり壁を作ることができます。次にやったのが田植え。家から少し歩いたところに田んぼがあり、そこで田植えをしました。山梨の祖父の手伝いで、稲刈りを手でやったことはありましたが、田植えを手でやったこ
とはなかったので、はじめての体験でした。足は泥まみれになりながらやり、終わった後は私たちの方は近くの川で足を洗い、家のお兄ちゃんのほうは裸で川で泳いでいました!
また村の人々による踊りや太鼓を見たり、一緒に踊ったり、いい経験をしました!

感じたこと

村にはもちろん水道も電気もありませんが、人々は本当に生き生きとしているように見えました。ここでの生活は本当に「原始的」だと考えることもできるけど、「原始的だ」という「ものさし」を使ってでしかこの生活を見れないのではもったいないなと思いました。生活をすることってどういうことなのか、幸せってどういうことなのか、なんかありきたりかもしれないけれど、こういうことをしっかり考えたくてタンザニアに来たので、とっても貴重な経験でした。
そしてタンザニアにおけるスワヒリ語の威力を改めて感じました!村でもスワヒリ語は何の問題もなく通じます!毎日スワヒリ語を勉強して、とっても楽しいけど、さらにヤル気が高まりました!地域が違っても、部族が違ってもスワヒリがあるから人々は仲良く協調して、平安なタンザニアを築いているんだなと自分で村人と話すことで実感できました。
いっぱい家族の人と話をして、村の踊りを見て一緒に踊り、子供と遊び、人々の営みを体験してとっても嬉しかったです!
私の任地はタンザニア隊員の中でも有名な「田舎」の村らしいので、これから始まる活動をいっぱい楽しめる気がします。つらい現実をたくさん見たり、体験したりすることもあるかもしれませんが、受け止め吸収したくさん考え、そして行動していきたいです。

貴重な体験をさせてくれた関係者のみなさん、
あたたかく迎えてくれた村の人々、
タンザニア隊員の仲間に
心から感謝します

2008年4月23日