2008年5月10日

いよいよ本赴任

明日、いよいよ任地へ本赴任します!隊員活動が本格的にスタートします!!

福島の訓練所では19年度4次隊約150名の隊員と一緒に訓練を受け、
タンザニア到着後は19年度4次隊タンザニアメンバー9名と一緒に訓練を受けてきましたが、
ついにそれぞれがばらばらに任地に行く時期がやってきました!!

私の大好きな19年度4次隊タンザニアメンバー9名の写真を載せます!
最後に皆で夕飯を作り、食べた後の写真です


みんなの手
この手で大切なものを掴みたいですね


みんなの足
しっかりタンザニアの大地を踏みしめて活動したいですね


みんなの笑顔
より多くの笑顔が生まれますように


9人の職種は

村落開発(地域開発学校の先生)
司書(大学の司書科の講師)
看護師(看護学校の先生)
理学療法士(病院職員指導)
コンピュータ技術(職業訓練校の先生)
自動車整備(職業訓練校の先生)
理数科教師(中等学校の先生、3人)

です!

これからはこのブログの更新も頻度が小さくなると思いますが、書けるときは書いていくのでまた見てくださいね^0^


2008年5月9日

ダブルダッチのとりこ

ダブルダッチ

私は大学生活で「ダブルダッチ」という二本の縄を回しながらいろいろな跳び方をする、スポーツ兼パフォーマンスをずっとやっていました。

日本でも最近ではメディアでダブルダッチを目にすることも多くなったのでご存知の方も多いかと思います。
ご存じない方は動画サイト「youtube」で「ダブルダッチ」をキーワードに検索してみてください!たくさんのダブルダッチ動画をみることができます。


私は5年前にダブルダッチと出会い、今までずっとダブルダッチをしてきましたが、ダブルダッチを通してたくさんの幸せや喜びを感じることができました!!

なので、ここではダブルダッチの魅力と僕の周りの魅力的なダッチャー(ダブルダッチをしている人をこう呼びます、笑)について書きたいと思います!!


ダブルダッチの可能性

ダブルダッチで使う道具は「縄だけ」です!それと平らな地面があれば大丈夫!だから他のスポーツに比べればどこでもすることができます!私の2年間の隊員活動の中で、
「ダブルダッチ普及」
も目標の一つです。私の配属先は中等学校なので、放課後の課外活動の時間や休日にするスポーツとして、生徒さんたちにダブルダッチを紹介してみたいと思います。また配属先以外でもダブルダッチの楽しさをたくさんの人に伝えることができるよう、貪欲に機会を探していきたいと思います。


ダブルダッチの面白さ

曲に合わせて跳ぶととっても楽しいです!演技を作るときは自分達がやりたい曲を選び、演技も自分達で考えます!創造力が試されるのでとっても楽しいです。また縄跳びとダブルダッチの大きな違いは「みんなで一緒にやること」基本的にも2人で1組の縄を回すので、チームワークや協調性が必要です!大好きな仲間と力を合わせてやるのがとっても楽しいです!!


ダブルダッチの難しさ

上で書いた「チーム」でやることが時として難しさにもなります。
また縄を回すのは練習に時間を要すこともあるので、根気強くやらないとなかなか難しいです!

でもこれらの難しさを乗り越えたときの喜びはもう言葉では言い表せません!!


ダブルダッチを教えてくれた人たち

私が大学生になった時、大学には「ダブルダッチサークル」はありませんでした。ダブルダッチがまだもっとマイナーであった頃でした。しかし、同年に入学してきた学生で高校の時からダブルダッチをしていて、大学でダブルダッチサークルを作りたいという熱いヤツラがいました!!彼らが私に最初にダブルダッチを教えてくれた「恩人」です
この「運命の出会い」には本当に感謝してます。サークルの同期は1代目として、サークルを作り上げ、今現在そのサークルはとても大きく、また魅力的になっています!そんなサークルのメンバーみんなが私にダブルダッチの魅力を教えてくれた「仲間」です


世界にいる隊員たち

ダブルダッチが大好きな私は勢い余って、隊員訓練所でもダブルダッチを仕掛けました!そして本当にありがたいことにたくさんの方がダブルダッチに興味をもってくれて、訓練所の空き時間を利用してみんなでダブルダッチ楽しんじゃいました☆最後はみんなで演技を作り、披露してダブルダッチの醍醐味も共有してきました。今彼らはそれぞれの任国

中国、タイ、ベトナム、モンゴル、フィジー、シリア、エジプト、ウガンダ、ケニア、タンザニア、マラウイ、ボツワナ、ナミビア、マダガスカル

にいます!彼らと築いた絆は私の隊員活動のおおきな支えになっています!!



いままで
ダブルダッチを通してたくさんの人と話し、動き、楽しんできました。
ダブルダッチを通してたくさんの子供と遊び、戯れてきました。


大勢のみんなとダブルダッチにありがとう

そしてこれからも!!


2008年5月9日

タンザニア人の日本人観

タンザニア人の日本人観


タンザニアの人々が日本人をどう見ているのか、この1ヶ月半で私が経験した事、スワヒリ語講師が文化に関する授業で話してくれた事を元に書いてみます。

お互いを知って、お互いを尊重し合って、建設的に協力しあう

そのための第一歩として相手が自分たちをどう見ているか知ることは重要だし、興味深いですよね


日本人はみんな空手や格闘技が得意

みんな日本人は空手ができると思っています!びっくりするくらいみんな「ブルース・リー」と「ジャッキー・チェン」が好きで、しかも多くの人が彼らを日本人だと思っています!!(笑)
そのため空手(の真似)をすると、非常に喜ばれたり、アイツは強いからと強盗に襲われにくいということがあるようです!


日本人はみんな電器製品や車に詳しい、もしくは作れる

これは日本製の電気製品や車がここタンザニアでも「最高級」として信用されていることから来ているようです。そのため、携帯電話などが壊れると「日本人であること」を理由に「これ直してくれ」と持ってこられたり、困ったこともあるようです(笑)


日本人は日本人としか結婚したがらない

どこからこのイメージがついたんでしょう?(笑)隊員もよく求婚されますが(笑)、丁重にお断りすると「どうしてそうなんだ?日本人としか結婚しないのか?」と聞いてきます。
私の予測ではみんな日本人が好きだから、求婚の後、断られた時の印象が強く、このイメージがついたのではないでしょうか?実際私が話した中でも、日本人と結婚したいと言うタンザニア人の男性は多いです。


中国、韓国、日本の文化・習慣などはほぼ一緒

中国、韓国、日本の文化・習慣などが同じだと思っている人は多いです。言葉も一緒だと思っている人もいるくらいです。私達がアフリカで使われている言語を知らないのと一緒ですね。


これらの事を目の当たりにすると「日本人であること」を強く意識させられます。
そしてタンザニアの人々は日本のことをとても「良いイメージ」で捉えています。勤勉で、経済発展もして、アフリカ援助もたくさんしている日本。資源目当てで進出してくる中国や、武力で事を解決しようとするアメリカは駄目だが日本は素晴らしいと言ってくれるタンザニアの方にも出会いました。

このような話をきくと、日本のことを誇りに思いますし、この日本を築いてきた先人に感謝する気持ちでいっぱいになります。

しかし同時に、日本は

財政の不健全、汚職、公金不正使用、犯罪の凶悪化、過労、家庭崩壊、などなど

深刻な問題もたくさん抱えています。なのでこのような事実もタンザニアの人々に伝え、

タンザニアと日本お互いにいい所と問題点があるからお互いに学びあっていこう

という観点でたくさんのタンザニアの人々と関わっていければと思います。

そしてタンザニア人が日本人にいろいろな「先入観」「イメージ」をもっているとの同様に日本人もタンザニア人にいろいろな「先入観」「イメージ」をもっています。知らないことがいっぱいある、「知らないということ」を知り、謙虚な姿勢を大切にしていこうと思います。


2008年5月9日

2008年5月4日

スワヒリ世界は挨拶重視

スワヒリ世界は挨拶重視


スワヒリ世界では挨拶が非常に重要な要素となります!日本も昔はよく知らない人にも挨拶したのかもしれませんが、ここタンザニアでは挨拶がとっても大事らしいです。
語学訓練の時に先生が言っていたのは、初対面の人に会ったときに挨拶をしないと親切にしてもらえない事もあるらしいです。
そして知り合い・友達となれば挨拶から始まり、いろいろな会話にかなりの時間をかけるときもあります!

ということで、今回は代表的な挨拶を紹介します!

S:swali(質問)
J:jibu(答え)


(挨拶) (読み) (直訳)

S:Hujambo?(フジャンボ)(あなたに問題はありませんね?)
J:sijambo!(シィジャンボ)(私に問題はありません)


日本の中学英語の教科書に「ジャンボ」が載っているものもあるらしく、ご存知の方も多くいるのではないでしょうか?
jamboは名詞では「事柄」「問題」という意味で、このような挨拶で動詞として使う場合は「問題がある」という意味になります。

hu- は2人称単数の否定専用の主語で英語で言うなら hu- = You do not です
si- は1人称単数の否定専用の主語で英語で言うなら si- = I do not です

なので以上を合わせると上のような意味の挨拶になります!

この挨拶からもわかるようにスワヒリ語では

否定文を作るときは主語を否定専用の主語に変える


のです!

英語は not などの否定の目印を付け足しますが、スワヒリ語は 主語そのものを否定用の別物に変えることで否定文を作ります


またスワヒリ語は

肯定文と疑問文で語順が同じ

です


S:Hamjambo?(ハムジャンボ)(あなた達に問題はありませんね?)
J:Hatujambo!(ハトゥジャンボ)(私達に問題はありません)

ham- は2人称複数の否定の主語で英語で言うなら ham- = You(複数)do not です
hatu- は1人称複数の否定の主語で英語で言うなら hatu- = We do not です

目の前にいる複数の人に挨拶するときはこれです!


S:mambo?(マンボ)(問題は(調子は)?)
J:poa!(ポア)(クールだよ)
J:safi!(サフィ)(最高だよ)
J:shwari!(シュワリ)(全く問題なしだよ)


mamboは上で出てきたjamboの複数形です。
名詞の単数形と複数形については相当話が長くなるので(笑)、また書きますね~

このやりとりは主に友達や若者同士での挨拶です。最近では年代問わず広く使われているようですが、目上の人に対しては使うと失礼に値します。

poaの原義は「冷める」らしいです。英語のcool!と似てて面白いですよね
safiの原義は「清潔な」です
shwariの原義は「静寂・凪」だそうです


S:Habari gani? (ハバリ ガニ)(どんなニュースがある?調子どうだい?)
S:Habari za ---??(ハバリ ザ ~)(~の調子はどうだい?)
J:Nzuri! (ンズリ)(良いです)


habariは「事情・ニュース」の名詞
ganiは「どの・どんな種類の」に相当する疑問詞 英語の「which」に似て使うときがある語です

zaは英語の「of」(所有・属性を表す)にあたる語ですが、この「of」の意味の語はza以外にいっぱいあって、前の名詞の種類・単数か複数かに依って変化します(焦)また書きます

zaの後には
(kazi、仕事)
(familia、家族)
(watoto、子供)
(mke、奥さん)
(mume、夫)

などを入れて、相手の近況を気遣います。

返事はまず、常にNzuri! (ンズリ)(良いです)で答えるのが通常だそうです。

あるタンザニア人のスワヒリ語の先生曰く
「たとえ自分が2日後に死ぬくらい具合が悪くても最初はます、Nzuri!と言え」
だそうです(笑)

パターン化してるんですね


S:shikamoo(シカモー)(尊敬します)
J:marahaba(マラハバ)(承知した)


これは年長者に対する挨拶です!もしタンザニアに来るならこの挨拶は知っていたほうがいいでしょう。スワヒリ世界でも年長者を尊敬することが非常に重要視されていて、挨拶もこのように違います。

年長者にmambo?と挨拶すると、「sema shikamoo」(シカモと言え)と怒られるらしいですし、私も子供にはshikamooと挨拶されることがあります。

この挨拶いっぱいの習慣のおかげで道端で初めて会った人とでもたくさん話をすることができます。
長くいると挨拶が煩わしく思える時もあるようですが(笑)


2008年5月4日

2008年5月3日

任地視察(写真編2)

私の住む家です。学校から歩いて10分かからないくらいのところにあります。
(隊員の住む家は配属先が提供するのが原則です)

寝室です(まだベッドと椅子しかありません)



玄関入ってすぐの間(右側の扉が玄関、奥は倉庫の扉、左の扉から他の部屋に行きます)


風呂場というか、オガする場所(スワヒリ語で体を流すことを動詞で oga というので)

バケツに汲んできた水を体にかけながら汗を流します


トイレ(オガの隣)

バケツに汲んできた水を使って流します

任地視察(写真編1)

学校の写真です
学校周辺の敷地です

メインの校舎です

1996年にsecondary-schoolとして設立されたそうです

現在、form1~form4の生徒数500以上で先生の数が7人です


校舎の壁に書いてあるシンボル

上半分は学校名です

下半分は「規律と働きが教育を向上させる」と書いてあります

(教科書の絵の上には科目が書いてあります)


学校の隣にある大きな教会(日曜には多くの村人が来るそうです)

任地視察

任地「ルクレディ」


任地訪問に行ってきました。
これから約2年間働かせてもらう村、学校を案内してもらい、これから約2年間私が住む家に2泊し、村の人々に自己紹介してきました。5月11日の本赴任を控え、準備に役立てるのが主な目的です。


任地の場所・交通事情


私の任地ルクレディはタンザニア南東部、ムトワラ州の内陸部にあります!今回は首都ダルエスサラームから2日かけてルクレディに行きました。

1日目、飛行機で首都ダルから南東部の主要都市ムトワラに行きました。
2日目、バスで約6時間かけてムトワラから内陸部の主要都市マサシまで行き、そこからさらにバスで1時間くらいかけて北上するとルクレディに着きます。

ムトワラからマサシまでの道路はほとんどが舗装されていて車は走りやすいです。マサシからルクレディまでの道路は未舗装のため、天候に左右されてしまいます。南東部は今は雨がほとんど降らない時期のようで道が乾いていて状態が良かったため、今回は30分くらいでマサシからルクレディまで行けました。


ルクレディ中等学校


配属先のルクレディ中等学校はとってもいいところ・すごい所でした!!
田舎に位置する学校なので、とても小さく設備もないないだらけの学校を想像してしました。

しかし!!

実際はとっても大きく、設備もとても整っていました。
まず、メインの校舎が2階建てです☆きれいだし、本当にすごいです。
また「実験棟」があり、しかも「物理実験棟」「化学実験棟」「生物実験棟」と”分かれて”います。そして実験設備や試薬などもある程度そろっています。開発途上国の田舎の学校としては、「最高の設備」と言っても過言ではない気がします。

ルクレディ中等学校は自然に囲まれた敷地内にあり、隣に

大きな教会
職業訓練校(裁縫、大工などを学ぶ学生がいる)
簡易病院
耳の聞こえない児童・生徒さんたちが通う学校

もあります。いろいろな学校・設備に囲まれ、本当に恵まれた環境です。
ここに住み、仕事をし、人々と関わる中でいろいろな経験ができそうな気がします。


ルクレディの人々


配属先の校長先生はとってもいい人でした(^0^)
しっかりしているし、話もわかりやすいし、話をしっかり聞いてくれます。
「困ったことがあったら何でも相談できる」と思える人なので、かなり安心です。

私はこの学校で働く4代目なのですが、家には代々の先輩隊員をお世話してきたママ(お手伝いさん)が来ることが可能みたいです。今回ママに会って話をしたのですが、そのママがちょっと図図しい感じで、ママの中では毎日来ることが当たり前みたいになっているらしく、会ったばかりなのにお給料のこととか、給料前借りの話をしてきて、ちょっと戸惑いました。ママは、「何でもするから」という感じでかなり多くの時間、うちにいることを前提としているようです。本赴任後ママに「何を」「どれくらい」してもらうのか考えて、自分で決めなければいけません。なので、今はママとの距離感のことでちょっと考え中です。。。人を雇うことももちろん今までしたことがないので、、、


村の人々は本当に友好的です。前任者の方がこの村をたくさん愛していた影響もあり、その後任である私にも優しく接してくれます。大人の皆さんは協力隊のこともよく知っていますし、小さい子供は「ジャパニ!!」と呼んでくれます(みんな飴が欲しいらしいです笑)

これからこの村の人々とたくさん話をして、たくさん遊んでいきたいと思います!


ルクレディの環境


ビール・ジュース・水や日用品を売っているお店もいくつかあり、ご飯を食べる食堂も2、3個あるので、「何もない」というわけでは全くなくそんなに不便はしないと思います。
村人のほとんどは土壁の家に住んでいて、鶏がその辺をたくさん歩いています。また道には牛のフンがたくさん落ちています。牛を引き連れた村人がよく通るので。人々が家畜と共に暮らしているというのが実感できます。村の人々の家を訪れてもっといろいろな関わりを持てたらまた報告します!



私の住む家


家は想像していたのとは異なり「豪邸」です。
部屋の数は5ですし、前任者の時にこの家に泥棒が入った影響もあり防犯設備がとてもしっかりしています。
トイレ・風呂場も家の中にあるし、電気の配線も家に通っています。(今回滞在中は全く電気が来ていませんでしたが笑)
水道も家の玄関の外近くにあるし、そんなに不自由はなさそうです。



感想


飛行機はアフリカ大陸東海岸を南下し、その間機内からはインド洋が見えました。
とても綺麗な海。
ムトワラからルクレディまでのバスの中からは常に
たくさんの木・草が生い茂る
のを見ることができました。
タンザニアが本当に自然に恵まれているのを見ることができました。

ルクレディで見た夜空の美しさは印象深いです。

事前にいろんな先輩隊員から「すごく田舎で、大変なところだよ」という感想を聞きましたが、自分の目で見てみた感想は違ったものでした。改めて

「どう感じるかは個人に依る」  ということと
「百聞は一見に如かず」     ということを感じました。


まだ自分が数学教員として毎日の仕事をしている姿には実感が足りませんが、この環境に助けられながら生活していくのだろうと思います。
校長先生・同僚・学校の生徒たち・ママ・村の人々にたくさんお世話になるでしょう。
隊員・学校の教員としての自覚と、謙虚な気持ちの両方を持ち、この村で活動して行きたいです。

このようなすばらしい環境を与えられたことに心から感謝です。


2008年5月3日