先生という存在
私の中学生時代からの友人の一人が昔私に言った一言があります。
「俺、お前は絶対に先生に向いてると思うけどな」
私は
「俺みたいな不届き者じゃ無理だよ~」
と答えたと思います。今でもそう思っていますが、気づいたら今自分は「先生」になっていました(笑)
実際に今自分が「先生」という立場になってみてよく考えることは
「私がいままで出会った先生方は本当に素敵な方ばかりだった」
という強い思いです。
各学校を卒業して以来そんなに思い出すことのなかった「先生たちが私にくれたメッセージ」が急に思い出されたりします。
おそらく今自分が先生になってみて生徒に何を言ったらいいのかと考える機会があるからだと思います。
今まで私が出会った素敵な先生方が私に語りかけてくれたメッセージ・思い出のエピソードをいくつか紹介します。
この投稿は本人たちの許可をもらっているわけではないので、名前はイニシャルにします
H先生(小学校時代(5・6年生時)の担任の先生)
「先生って君たちより1歩でも先に進んでいれば、つまりちょっとだけ多くのことを知っていればできちゃうんだよ。だから今ひできがおもっているほど先生はすごくはないんだ」
これは私がH先生に
「先生は音楽以外の全部の科目を教えてくれるけど、なんでそんなにたくさんのことを知っているの?ほんとすごい」
と言った時に返してくれた言葉です。決して威張らず謙虚な姿勢で、児童に心からの愛情を持って接していたH先生を私はすごいと思いました。
私も生徒に「先生、本当にすごいよ」と言われることがありますが、その時はH先生の言葉を借りて生徒にそのように伝えています
H先生(中学の時の社会の先生)
社会の先生なのに数学の難問をさらっと解いてみせた!!
中学の時、普通の実力試験とは別の模擬試験を受けたことがありました。しかしその試験は本当にレベルが高い問題の試験で、私たち生徒は完全に打ちのめされました。
特に「数学」は難しく本当に驚いた記憶があります。私ができないのはまだしも、学校で一番数学ができる奴もそんなにできておらず、私はその生徒と教室で凹んでいました。
そこにH先生が入ってきて、事情を話すと
「どれ。(問題をざっと見る)うん。これはそんなに難しい問題じゃないよ。見てろし。(甲州弁で見ててごらん。という意味)」
といい、回答を黒板に書きながら解き方を丁寧にわかりやすく解説してくれました。
社会の先生なのに、なんでそんなに数学ができるのか、当時の私は本当に驚きました。
理由を聞くと
「高校の時は理系でバリバリに勉強していたが、浪人してから社会の在り方が大切だと思って道を変えた」
という風に答えてくれました。
その時、人にはいろんなバックグラウンドがあること、H先生は社会をみる眼差しが一味違うことを子供ながらに感じました。
W先生(中学の時の理科の先生)
「夜空を見上げてごらん」
理科の授業で天体について教えてくれている時、実際に夜外に出て星を眺めてごらんと私たちに語りかけていたW先生。
「その心臓の鼓動と温かさが命のしるしだよ。よく覚えておくんだよ。」
カエルの解剖の授業を実施してくれた時の言葉です。
W先生の事は高校生の時、学生の時もよく思い出していたので、学生になってから一度先生に会いに行ったことがあります。
訪れた時に、科学記事の切り抜きをまとめたノートを見せてくれました。
「科学の最新の話題も知っていたいから」
とマメに記事を整理している先生。
W先生からは
「理科に対する興味の深さ」
「座学だけではなく実際の生活の中で理科を見出すことの大切さ」
が感じられました。
A先生(中学の時の担任の先生)
中学生の時は特にひねくれていて、落ち着きがなかった私はトイレ掃除の際にふざけて水で遊んでいました。
それを見つけたA先生は私をしっかり拳骨で殴ってくれました。
タンザニアでは生徒に対する理不尽な体罰が多く、私も日々棒でたたかれる生徒を見ては複雑な気持ちになっています。
私はいつも言葉で説明するようにしていて、一度も手を出したことも、棒でたたいたこともありませんが、
正しい状況で行われる多少の体罰は生徒にとって大切なのかもしれない
ということをA先生は教えてくれました。
私はあの時先生が殴ってくれて本当によかったと思っています。
T先生(高校の時の数学の先生)
高校卒業後伺った時に食事に連れて行ってくれ、ゲーデルの不完全性定理の話をしてくれました。
ゲーデルの不完全性定理というのは
「”数学は自己の無矛盾性を証明できない”ということを証明した」
という話でした。これを証明した人の名前がゲーデルというそうです。
この話を聞いた時、私は
「それは数学の問題なのかな?哲学みたいだ」と感じたのを今でもよく覚えています(笑)
「先生は本当に数学にのめり込んだことがあるんだな」という強烈な印象を受けたました。
「学問をすることに対するロマン」みたいなものを感じ取りました。
K先生(学生時代の教授)
「研究生活もいろいろあって大変だったけど、子どもを育ててその子どもたちが自立して、そこまで来てやっと自分は人生を生きたと思えた」
研究で多くのことを成し得た偉大な先生が、子どもと過ごした時間がどれほど大切かということを語っていたのには私も感じ入るものがありました。
全員の先生から共通して学んだ大切なことは
「けじめ」
です。
授業や学校の日課、学校行事をしている時は真剣に指導をして時に厳しい一面も見せてくれ、それ以外の時間では優しく面白く接してくれて、くだらない話にまで付き合ってくれる先生。
それが非常に大切なことであるということを最近の私は強く感じています。
ここタンザニアでも、私は生徒に「けじめ」の大切さを伝えようと日々心掛けています。
生徒も最近はいい「けじめ」を見せてくれるので私はとってもうれしいです!
2009年8月8日
2 件のコメント:
先生になってあらためてあのときの先生の言葉ってゆうのが身にしみますね。
なつかしい先生がたくさんでてきてほろっとしたよw
会いたいね~
あっこ
本当に素晴らしい先生に恵まれるということは幸せなことですね。
感謝感謝です!
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