料理
ここタンザニアでは、多くの人々が炭や薪を使って火を起こし、料理をしています。
私の家に今あるコンロは
「炭」
「灯油」
の2種類です。
それ以外に、
日本で言う「着火剤」のような燃料を燃やして火をおこすコンロ
「電気コンロ」
もあるのですが、私の任地はその着火剤が売っていない、のと電気が不安定という理由で前述の2種類のコンロを使っています。
炭はとっても値段が安く経済的ですが、火をおこすのに時間がかかるという難点があります。
灯油はすぐに火がつくのでラクですが、灯油の値段が高いのでそれが難点です。(今現在私の村では灯油、1リットル=約180円)
料理をするときは上の写真のように床を利用して料理しています。日本の感覚から言えば「汚い」かもしれませんが、私は気にならないというかもう慣れました(笑)
左の奥に見えているのが「炭の山」です!!
日本での生活における炊飯器の便利さや炊き具合の上手さには頭があがりませんが、これらのコンロでお米を炊くのも今はすっかり慣れて、「白いご飯」もおいしくいただいています。
タンザニアには「米」も豊富でどこでも買うことができます。しかし、ウガリを作るための「トウモロコシの粉」に比べると値段が少し高めなので、村の人々はそんなに頻繁にはお米を食べません。
具は大根とルッコラ(という葉っぱです)。どちらもマサシにいる先輩隊員からいただきました。その先輩は家庭菜園がすごいそうです。大根はタンザニアでは見かけません。この味噌汁を近所の夫婦と一緒に食べたところ、「大根はおいしくない」と言っていました(笑)とーってもおいしい大根だったのですが、食べなれないとやっぱそう感じるのでしょうか??
2008年9月13日
2008年9月14日
日本のニュース
日本のニュースの入手方法
開発途上国、その中でも特に私の任地のようにネット環境もないところにいると日本のニュースから隔離され、帰国時には「浦島太郎」のようになっているということがあるといいます。
それを防ぐために、隊員には
「月刊新聞ダイジェスト」
が配布されます。今はどの国でもネット環境がある隊員は増えているのですが、インターネットのない昔は隊員全員に配布されていたようです。
日本にいる頃も新聞を読むのが好きだった私にとってこの「新聞ダイジェスト」は生活の中の重要な情報源のひとつです。新聞ダイジェストを編集してくれている皆さんに心から感謝!!
でもいわゆる「流行」の類になるさまざまなもの(食の流行、ファッション、芸能、音楽など)については
完全に「浦島太郎」になる気がしますが(笑)
2008年9月13日
開発途上国、その中でも特に私の任地のようにネット環境もないところにいると日本のニュースから隔離され、帰国時には「浦島太郎」のようになっているということがあるといいます。
それを防ぐために、隊員には
「月刊新聞ダイジェスト」
が配布されます。今はどの国でもネット環境がある隊員は増えているのですが、インターネットのない昔は隊員全員に配布されていたようです。
日本にいる頃も新聞を読むのが好きだった私にとってこの「新聞ダイジェスト」は生活の中の重要な情報源のひとつです。新聞ダイジェストを編集してくれている皆さんに心から感謝!!
でもいわゆる「流行」の類になるさまざまなもの(食の流行、ファッション、芸能、音楽など)については
完全に「浦島太郎」になる気がしますが(笑)
2008年9月13日
2008年9月8日
水
水
水について書きたいと思います。
首都で
タンザニアでは水道水でもそのまま飲むことは非常に危険です。
料理に使う水、飲み水などは
まず濾過器を使って濾過し、その後煮沸して消毒する
という作業を行います。
そのまま飲めるペットボトルの水も売っていますので、私も首都ダルエスサラームにいるときは、主にペットボトルの水を飲みます。
田舎(村)での状況
しかし、私の任地ルクレディのような村には水道がほとんどないという状況です。
人々は井戸で水を汲んでそれを濾過・煮沸消毒なしで使っています。小さい頃から慣れているから大丈夫という側面もあるようですが、それでも人々は水が原因と思われる下痢などの病気になるようです。
村であっても、タンザニア全土に渡る地域でペットボトルの水が出回っていますが、大多数の村の人はもちろんそれを買うことはできません。
私の任地ルクレディの場合は村のはずれに小さな湖があり、人々はその水を頼りに生活しています。
湖の周りで洗濯をし、体を洗い、湖の水を持ち帰る。
そうやって湖の水とともに生きています。
井戸はどこの地域でも乾季の終わりのほうになってくると水が少なくなったり枯れたりするようで、私の感覚から言えば、「とても不安」です。水は生きていくために必要なものの筆頭に上がる大切なものだからです。それでも人々は生まれたときからそのようにして生きてきたのです。
「タンザニアの人々はとても強い」
「自分がこの村で生まれた人間だったらこれに耐えられるだろうか」
そんなことを考えます。
私の生活の中の水
私の家は近くの教会の関係する敷地の家なので近くに水道があり、普段はそこで水を調達します。
その水道は教会所有のポンプで地下から汲み上げた水がでてきます。
砂がまじっているものの、湖の水に比べれば綺麗な水が出てきますし、調達するときの労力は村の人々に比べれば断然少ないです。
私は濾過器を買うことができますし、水を煮沸するための燃料(炭、または灯油)を買うことにも困らないので、この水をろ過し、煮沸した後に飲み水として、ポットに入れ飲んでいます。
このように水をめぐる状況でも、私は村の人々より「ラクな生活」をしています。水を得るために、湖と家を複数回往復して、水の入った重いタンクを自転車や頭の上に乗せ運んでいる村の人々の辛さは私にはありません。
私の家の近くの水道も常に出るわけではないので、大きなバケツに水を蓄えています。
水について書きたいと思います。
首都で
タンザニアでは水道水でもそのまま飲むことは非常に危険です。
料理に使う水、飲み水などは
まず濾過器を使って濾過し、その後煮沸して消毒する
という作業を行います。
そのまま飲めるペットボトルの水も売っていますので、私も首都ダルエスサラームにいるときは、主にペットボトルの水を飲みます。
田舎(村)での状況
しかし、私の任地ルクレディのような村には水道がほとんどないという状況です。
人々は井戸で水を汲んでそれを濾過・煮沸消毒なしで使っています。小さい頃から慣れているから大丈夫という側面もあるようですが、それでも人々は水が原因と思われる下痢などの病気になるようです。
村であっても、タンザニア全土に渡る地域でペットボトルの水が出回っていますが、大多数の村の人はもちろんそれを買うことはできません。
私の任地ルクレディの場合は村のはずれに小さな湖があり、人々はその水を頼りに生活しています。
湖の周りで洗濯をし、体を洗い、湖の水を持ち帰る。
そうやって湖の水とともに生きています。
井戸はどこの地域でも乾季の終わりのほうになってくると水が少なくなったり枯れたりするようで、私の感覚から言えば、「とても不安」です。水は生きていくために必要なものの筆頭に上がる大切なものだからです。それでも人々は生まれたときからそのようにして生きてきたのです。
「タンザニアの人々はとても強い」
「自分がこの村で生まれた人間だったらこれに耐えられるだろうか」
そんなことを考えます。
私の生活の中の水
私の家は近くの教会の関係する敷地の家なので近くに水道があり、普段はそこで水を調達します。
その水道は教会所有のポンプで地下から汲み上げた水がでてきます。
砂がまじっているものの、湖の水に比べれば綺麗な水が出てきますし、調達するときの労力は村の人々に比べれば断然少ないです。
私は濾過器を買うことができますし、水を煮沸するための燃料(炭、または灯油)を買うことにも困らないので、この水をろ過し、煮沸した後に飲み水として、ポットに入れ飲んでいます。
このように水をめぐる状況でも、私は村の人々より「ラクな生活」をしています。水を得るために、湖と家を複数回往復して、水の入った重いタンクを自転車や頭の上に乗せ運んでいる村の人々の辛さは私にはありません。
私の家の近くの水道も常に出るわけではないので、大きなバケツに水を蓄えています。
水を運ぶバケツと水を蓄えているバケツ(家の中)
水がなくなるかもしれない不安を感じながら生活するのは、日本ではなかなか難しいことなのでここタンザニアではそれが感じられて、とても貴重なことだなと思っています。
この気持ちを抱えて生きている人々が世界にはたくさんいるので。
水道がどこに行っても整備されている日本の環境は本当に素晴らしいと思います。水道事業をしっかり進めてきてくれた先人の方々に感謝する気持ちでいっぱいです。
そして、開発途上国で水に苦しむ人々の負担を軽減する井戸の建設や水道の整備がすすんでいくにはどのような事が必要なのだろうと考えます。
水があること、飲めることの大切さはずっとずっと考えていきたいです。
2008年9月8日
2008年9月6日
生徒の学習環境
生徒の学習環境
任地で過ごして約4ヶ月。タンザニアの中等学校の生徒の学習環境について書いてみたいと思います。自分の勤めているルクレディ中等学校の様子、他の理数科教師隊員の方たちと情報交換した内容を元に書いてみます。
中等学校のシステム
タンザニアの中等学校には2種類あります。
Ordinary Level (Form1-Form4)
Advanced Level (Form5-Form6)
と呼ばれるものです。
「Form」とは中等学校の「学年」に相当する言葉です。
「Form1」は日本でいう「中学1年」に相当すると言って問題ないと思います。
なので「Form6」は「高校3年」にあたります。日本では「中学」と「高校」は3年ずつで分かれていますが、タンザニアではO-Level4年間、A-Level2年間と分かれています。
O-LevelとA-Levelは同じ中等学校に併設の場合もありますが、大半は片方しかありません。
私の任地、ルクレディ中等学校はO-Levelだけの学校です。
学んでいる教科
O-Level
O-levelでは生徒はいろいろな教科を幅広く学びます。
Kiswahili (スワヒリ語)
English Language (英語)
Civics (公民)
History (歴史)
Geography (地理)
Mathematics (数学)
Biology (生物)
Physics (物理)
Chemistry (化学)
Religion (宗教)
Debate (討論)
O-Levelでは上記の教科を学びます。日本の中学校とは違い「美術」「技術」「家庭」「体育」などの教科はありません。
A-Level
A-Levelでは生徒は
指定された3教科
を学びます。
私は最初びっくりしたのですが、A-Levelでは生徒は自分の「専攻教科」を持っています。
それは「3教科からなる組み合わせ」で構成されていて、「コンビネーション」と呼ばれています。生徒はO-levelからA-Levelに行くときに自分のコンビネーションについて希望を出し、その結果に応じてどのA-Levelの学校に行くか指定されます。
その3教科の組み合わせは何でも良いわけではなく、種類が決められています。
現在存在するコンビネーションは10種類あるようで、いくつか例を挙げると
HGE (History - Geography - Economics)
HGK (History - Geography - Kiswahili)
KLF (Kiswahili - English - French)
PCM (Physics - Chemistry - Mathematics)
CBG (Chemistry - Biology - Geography)
などがあります。
各教科をアルファベット1文字で表し、それを3つ組み合わせて呼んでいます。
ちなみに
E=Economics
L=English (English "L"anguage)
です。
日本の教育システムと比較して言うと
高校教育から教科を得意分野だけに絞って勉強するので得意分野が伸ばせる
という特徴があると言えそうです。
しかし一方で、
いろいろな科目を学ぶ期間が早く終わるので知識が偏るのではという懸念
と
存在するコンビネーションの制限の中で学ばなければならない。
という問題があるように思います。例えば、英語と歴史と数学が学びたいという生徒が仮にいたとしても英語・歴史・数学というコンビネーションはないので、その生徒は何かの教科を変更し、存在するコンビネーションに変えなければなりません。
教室環境
机と椅子の数の不足が深刻です。ひとつの机で2人の生徒がノートを取ったり、テストをしたりするのは当たり前です。ひとつの椅子に2人の生徒が座ることも日常茶飯事。年功序列でform3・4の生徒が優先で机と椅子を使うので、特にform1・form2の教室には机と椅子がありません。それでもお互いに机や椅子を仲良く共有している生徒の姿をみていると、優しい気持ちになれます。
生徒はボールペンを使います。グラフを書いたり、描画するときは鉛筆を使いたがる生徒もいますが、基本的には全てボールペンです。というか”グラフを書いたり、描画するときは鉛筆、それ以外はボールペン”という習慣があるようです。シャーペンは売っていません(笑)それから生徒がノートを取るときの特徴と言えば、「定規を使うのが大好き」ということです。ノートの左端に定規を使って直線を引かないと気がすまない生徒、強調のアンダーラインなども定規を使って書かないと気がすまない生徒など、みんな定規が大好きです。でも定規を持っている生徒はそんなにいないので、授業中の定規の貸し借りは頻繁です。
教室の黒板はちゃんとあります。チョークも日本のものと同じくらい良いものがあります。しかし、黒板は日本のもののように書きやすくはありません。つるつるした黒板もあって、チョークの粉がのってくれない感じで書きづらいです。黒板を消すときはどうするか?というと、要らない紙切れや要らないスポンジなどを使って消します。日本の「黒板消し」の使いやすさに思いが至ります!!
授業中の習慣で、日本とタンザニアで違うところとして「先生を呼ぶときの方法」があります。日本では「手を挙げる」「呼ぶ」だと思いますが、タンザニアでは「ペンを机の上で連打する」が主流です(笑)それで”トントントン”という音を立てて先生の注意を求めます。この呼ばれ方、慣れるまでは正直嫌でした(笑)
毎日の学校生活
学校は日本に比べて朝早く始まります。
僕の任地の学校の時間割を例にすると、
~7:00 生徒は登校し、学校の周り・教室を清掃する
7:30 先生の出勤時刻、生徒は国旗台の前に集合し朝礼
~11:30 午前の授業
11:30~
12:00 朝食の時間
~14:40 午後の授業
皆さんがこの時間割を見て思うのはおそらく「11:30~12:00 って朝食なの?昼食の間違いじゃない?」ってことだと思います。でも朝食なんです。社会的な理由があるのかはわかりませんが、どこの学校もだいたい似たような時間割です。そしてこの朝食の時間たった30分間です。しかも「給食はもちろんなし」です。学校の予算では調理人を雇って食材も買って給食を提供することは不可能ですし、生徒から給食費を取るのは難しいことです。(公立O-level学校の年間学費は日本円で約二千円:2000円ですが、それでも学費が払えない生徒、払うのが遅れる生徒がいます。)学校の近くにご飯を食べるところがあるわけでも、生徒が家から弁当を持ってくるわけでもないので結局生徒がご飯を食べるのは家に
帰って15時頃ということになります。村なので人々はお金もなく、1日1食の人もたくさんいると思われます。朝学校に来る前に早起きして朝ご飯を食べてからくればいいと思うのですが、上記のような経済的理由からそれもできず、一日の最初の食事が15時くらいという生徒がたくさんいるという現状です。空腹と戦いながら授業を受けている生徒をみていると自分は本当に恵まれていたなと改めて実感します。
生徒に
「先生、お腹すいた」
「先生の家でご飯たべさせてくれ」
といわれることも良くありますが、いつも断っています。一回許したら多くの生徒が毎日来るのではないかという恐れ(自分の都合)などに負けて生徒にご飯をあげることはできないと思ってしまいます。
このようなやりとりを生徒とする度に、
日本で食べたい放題してきた自分の傲慢さ
や
タンザニアに来てからも「タンザニア人に比べれば全くと言っていいほど不自由なく食べれている自分の生活」を守ろうとしている自分の傲慢さ
を思い知ります。
2008年9月5日
任地で過ごして約4ヶ月。タンザニアの中等学校の生徒の学習環境について書いてみたいと思います。自分の勤めているルクレディ中等学校の様子、他の理数科教師隊員の方たちと情報交換した内容を元に書いてみます。
中等学校のシステム
タンザニアの中等学校には2種類あります。
Ordinary Level (Form1-Form4)
Advanced Level (Form5-Form6)
と呼ばれるものです。
「Form」とは中等学校の「学年」に相当する言葉です。
「Form1」は日本でいう「中学1年」に相当すると言って問題ないと思います。
なので「Form6」は「高校3年」にあたります。日本では「中学」と「高校」は3年ずつで分かれていますが、タンザニアではO-Level4年間、A-Level2年間と分かれています。
O-LevelとA-Levelは同じ中等学校に併設の場合もありますが、大半は片方しかありません。
私の任地、ルクレディ中等学校はO-Levelだけの学校です。
学んでいる教科
O-Level
O-levelでは生徒はいろいろな教科を幅広く学びます。
Kiswahili (スワヒリ語)
English Language (英語)
Civics (公民)
History (歴史)
Geography (地理)
Mathematics (数学)
Biology (生物)
Physics (物理)
Chemistry (化学)
Religion (宗教)
Debate (討論)
O-Levelでは上記の教科を学びます。日本の中学校とは違い「美術」「技術」「家庭」「体育」などの教科はありません。
A-Level
A-Levelでは生徒は
指定された3教科
を学びます。
私は最初びっくりしたのですが、A-Levelでは生徒は自分の「専攻教科」を持っています。
それは「3教科からなる組み合わせ」で構成されていて、「コンビネーション」と呼ばれています。生徒はO-levelからA-Levelに行くときに自分のコンビネーションについて希望を出し、その結果に応じてどのA-Levelの学校に行くか指定されます。
その3教科の組み合わせは何でも良いわけではなく、種類が決められています。
現在存在するコンビネーションは10種類あるようで、いくつか例を挙げると
HGE (History - Geography - Economics)
HGK (History - Geography - Kiswahili)
KLF (Kiswahili - English - French)
PCM (Physics - Chemistry - Mathematics)
CBG (Chemistry - Biology - Geography)
などがあります。
各教科をアルファベット1文字で表し、それを3つ組み合わせて呼んでいます。
ちなみに
E=Economics
L=English (English "L"anguage)
です。
日本の教育システムと比較して言うと
高校教育から教科を得意分野だけに絞って勉強するので得意分野が伸ばせる
という特徴があると言えそうです。
しかし一方で、
いろいろな科目を学ぶ期間が早く終わるので知識が偏るのではという懸念
と
存在するコンビネーションの制限の中で学ばなければならない。
という問題があるように思います。例えば、英語と歴史と数学が学びたいという生徒が仮にいたとしても英語・歴史・数学というコンビネーションはないので、その生徒は何かの教科を変更し、存在するコンビネーションに変えなければなりません。
教室環境
机と椅子の数の不足が深刻です。ひとつの机で2人の生徒がノートを取ったり、テストをしたりするのは当たり前です。ひとつの椅子に2人の生徒が座ることも日常茶飯事。年功序列でform3・4の生徒が優先で机と椅子を使うので、特にform1・form2の教室には机と椅子がありません。それでもお互いに机や椅子を仲良く共有している生徒の姿をみていると、優しい気持ちになれます。
生徒はボールペンを使います。グラフを書いたり、描画するときは鉛筆を使いたがる生徒もいますが、基本的には全てボールペンです。というか”グラフを書いたり、描画するときは鉛筆、それ以外はボールペン”という習慣があるようです。シャーペンは売っていません(笑)それから生徒がノートを取るときの特徴と言えば、「定規を使うのが大好き」ということです。ノートの左端に定規を使って直線を引かないと気がすまない生徒、強調のアンダーラインなども定規を使って書かないと気がすまない生徒など、みんな定規が大好きです。でも定規を持っている生徒はそんなにいないので、授業中の定規の貸し借りは頻繁です。
教室の黒板はちゃんとあります。チョークも日本のものと同じくらい良いものがあります。しかし、黒板は日本のもののように書きやすくはありません。つるつるした黒板もあって、チョークの粉がのってくれない感じで書きづらいです。黒板を消すときはどうするか?というと、要らない紙切れや要らないスポンジなどを使って消します。日本の「黒板消し」の使いやすさに思いが至ります!!
授業中の習慣で、日本とタンザニアで違うところとして「先生を呼ぶときの方法」があります。日本では「手を挙げる」「呼ぶ」だと思いますが、タンザニアでは「ペンを机の上で連打する」が主流です(笑)それで”トントントン”という音を立てて先生の注意を求めます。この呼ばれ方、慣れるまでは正直嫌でした(笑)
毎日の学校生活
学校は日本に比べて朝早く始まります。
僕の任地の学校の時間割を例にすると、
~7:00 生徒は登校し、学校の周り・教室を清掃する
7:30 先生の出勤時刻、生徒は国旗台の前に集合し朝礼
~11:30 午前の授業
11:30~
12:00 朝食の時間
~14:40 午後の授業
皆さんがこの時間割を見て思うのはおそらく「11:30~12:00 って朝食なの?昼食の間違いじゃない?」ってことだと思います。でも朝食なんです。社会的な理由があるのかはわかりませんが、どこの学校もだいたい似たような時間割です。そしてこの朝食の時間たった30分間です。しかも「給食はもちろんなし」です。学校の予算では調理人を雇って食材も買って給食を提供することは不可能ですし、生徒から給食費を取るのは難しいことです。(公立O-level学校の年間学費は日本円で約二千円:2000円ですが、それでも学費が払えない生徒、払うのが遅れる生徒がいます。)学校の近くにご飯を食べるところがあるわけでも、生徒が家から弁当を持ってくるわけでもないので結局生徒がご飯を食べるのは家に
帰って15時頃ということになります。村なので人々はお金もなく、1日1食の人もたくさんいると思われます。朝学校に来る前に早起きして朝ご飯を食べてからくればいいと思うのですが、上記のような経済的理由からそれもできず、一日の最初の食事が15時くらいという生徒がたくさんいるという現状です。空腹と戦いながら授業を受けている生徒をみていると自分は本当に恵まれていたなと改めて実感します。
生徒に
「先生、お腹すいた」
「先生の家でご飯たべさせてくれ」
といわれることも良くありますが、いつも断っています。一回許したら多くの生徒が毎日来るのではないかという恐れ(自分の都合)などに負けて生徒にご飯をあげることはできないと思ってしまいます。
このようなやりとりを生徒とする度に、
日本で食べたい放題してきた自分の傲慢さ
や
タンザニアに来てからも「タンザニア人に比べれば全くと言っていいほど不自由なく食べれている自分の生活」を守ろうとしている自分の傲慢さ
を思い知ります。
2008年9月5日
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