水について書きたいと思います。
首都で
タンザニアでは水道水でもそのまま飲むことは非常に危険です。
料理に使う水、飲み水などは
まず濾過器を使って濾過し、その後煮沸して消毒する
という作業を行います。
そのまま飲めるペットボトルの水も売っていますので、私も首都ダルエスサラームにいるときは、主にペットボトルの水を飲みます。
田舎(村)での状況
しかし、私の任地ルクレディのような村には水道がほとんどないという状況です。
人々は井戸で水を汲んでそれを濾過・煮沸消毒なしで使っています。小さい頃から慣れているから大丈夫という側面もあるようですが、それでも人々は水が原因と思われる下痢などの病気になるようです。
村であっても、タンザニア全土に渡る地域でペットボトルの水が出回っていますが、大多数の村の人はもちろんそれを買うことはできません。
私の任地ルクレディの場合は村のはずれに小さな湖があり、人々はその水を頼りに生活しています。
湖の周りで洗濯をし、体を洗い、湖の水を持ち帰る。
そうやって湖の水とともに生きています。
井戸はどこの地域でも乾季の終わりのほうになってくると水が少なくなったり枯れたりするようで、私の感覚から言えば、「とても不安」です。水は生きていくために必要なものの筆頭に上がる大切なものだからです。それでも人々は生まれたときからそのようにして生きてきたのです。
「タンザニアの人々はとても強い」
「自分がこの村で生まれた人間だったらこれに耐えられるだろうか」
そんなことを考えます。
私の生活の中の水
私の家は近くの教会の関係する敷地の家なので近くに水道があり、普段はそこで水を調達します。
その水道は教会所有のポンプで地下から汲み上げた水がでてきます。
砂がまじっているものの、湖の水に比べれば綺麗な水が出てきますし、調達するときの労力は村の人々に比べれば断然少ないです。
私は濾過器を買うことができますし、水を煮沸するための燃料(炭、または灯油)を買うことにも困らないので、この水をろ過し、煮沸した後に飲み水として、ポットに入れ飲んでいます。
このように水をめぐる状況でも、私は村の人々より「ラクな生活」をしています。水を得るために、湖と家を複数回往復して、水の入った重いタンクを自転車や頭の上に乗せ運んでいる村の人々の辛さは私にはありません。
私の家の近くの水道も常に出るわけではないので、大きなバケツに水を蓄えています。
水を運ぶバケツと水を蓄えているバケツ(家の中)
水がなくなるかもしれない不安を感じながら生活するのは、日本ではなかなか難しいことなのでここタンザニアではそれが感じられて、とても貴重なことだなと思っています。
この気持ちを抱えて生きている人々が世界にはたくさんいるので。
水道がどこに行っても整備されている日本の環境は本当に素晴らしいと思います。水道事業をしっかり進めてきてくれた先人の方々に感謝する気持ちでいっぱいです。
そして、開発途上国で水に苦しむ人々の負担を軽減する井戸の建設や水道の整備がすすんでいくにはどのような事が必要なのだろうと考えます。
水があること、飲めることの大切さはずっとずっと考えていきたいです。
2008年9月8日
1 件のコメント:
「20世紀は油の争いだったが、21世紀は水の争いになるだろう」と書かれた記事を読んだことがありますが、予想だけでなく、どうしたらいいのでしょうね。日本にいると重い事実を実感できない日々があります。秀樹くんは、今、自分の肌で感じているのでしょうね、いろいろなことを。
コメントを投稿